悪代官と越後屋の世直し談義「もしもし詐欺」

しとしとと降り続く梅雨の雨が、江戸の町を静かに洗い流していた。人通りの途絶えた夜の帳が下りる頃、ひっそりとした屋敷の一室で、油灯の揺れる光が悪代官・黒沼玄蕃の顔を不気味に照らし出していた。向かいに座るのは、いかにも人の好さそうな顔をして、その実、腹に一物も二物も抱える豪商、越後屋宗右衛門である。

「越後屋、今宵もまた、しとしとと降る雨よ。世間では我らを悪党と呼ぶが、案外、我らの方が世の憂き目を案じておるのかもしれぬな」

玄蕃は扇子をゆっくりと閉じ、静かにそう呟いた。越後屋は恐縮したように頭を下げた。

「お代官様のお言葉、まことにその通りでございます。下賤の身の私めには及びもつかぬお心持ち、恐れ入りまする」

「おべんちゃらはよい。そちがこの玄蕃に阿るは、己の利のため。だが、その利に飽かせて、世の中の隅々にまで目を光らせておるのも、また事実。今宵、そちに聞きたいことがあってな」

玄蕃の鋭い視線が越後屋を射抜く。越後屋は背筋を正し、居住まいを正した。

「ははあ、何なりと。この越後屋めにお聞きになりたいこととあらば、骨の髄までお答えいたしまする」

「うむ。近頃、耳にする奇妙な話があってな。市井の者どもが、『もしもし詐欺』とやらで、大層な騒ぎになっておるという」

玄蕃の言葉に、越後屋の表情がわずかに強張った。

「『もしもし詐欺』でございますか……。まことに、耳を疑うような話でございます」

「うむ。何でも、己の子や孫を騙り、急病だの、借金の返済だのと偽り、親や祖父母から金を巻き上げるという。その手口たるや、人の親心を逆手に取った、まこと卑劣千万なものよ。越後屋、そちはその手口について、何か知っておるか?」

玄蕃の問いに、越後屋は静かに息を吐いた。

「お代官様、実を申しますと、この越後屋めも、その手の話は耳にしておりました。いや、耳にするどころか、拙宅の奉公人の実家でも、危うく被害に遭いかけた者がおりまして……」

「なんと! それは穏やかではない。詳しく聞かせよ」

玄蕃は身を乗り出した。越後屋は、やや口ごもりながらも語り始めた。

「ははあ。奉公人の実家は、老夫婦二人暮らしでございまして。ある日のこと、突然、息子を名乗る者から電話がかかってきたそうでございます。『俺だ、俺。急な出費ができてしまって、どうしても金が必要なんだ。誰にも言うなよ』と。声が違うと申しますと、『風邪をこじらせて声が変わった』と。電話口の向こうからは、焦ったような声が聞こえ、どうやら大変なことになっているらしいと、老夫婦は信じ込んでしまったそうでございます。幸い、長年懇意にしている番頭が、妙な話だと不審に思い、息子さんの奉公先に直接連絡を取ったところ、詐欺だと発覚したそうでございます」

「ほう……。その番頭、なかなかやりおるな。しかし、間一髪というところか。市井では、この手の被害が横行しておると聞く。わしが日頃、悪逆非道を尽くしておるとはいえ、このような人の道に外れた行いは、到底看過できぬ」

玄蕃は苦々しい顔で呟いた。越後屋は頷いた。

「まことにその通りでございます。親が子を思う心、祖父母が孫を慈しむ心につけこむ手口は、鬼畜の所業。町には、この手の詐欺に遭い、長年貯め込んだなけなしの金を騙し取られた者が、途方に暮れておるという話も耳にします。中には、騙されたことに気づき、心労のあまり病に伏せる者もいると聞きますれば、胸が締め付けられる思いでございます」

「うむ。このような輩を野放しにしておいては、世の治安も乱れる一方よ。しかし、厄介なのは、その手口が巧妙であるということ。直接顔を合わせることなく、電話一本で人を欺く。証拠も残しにくいとなれば、下手人を探し出すのも骨が折れるであろう」

玄蕃は腕を組み、深く考え込んだ。越後屋は、その様子を伺いながら、口を開いた。

「お代官様、僭越ながら、この越後屋めにも、いくつか考えがございます」

「ほう、聞かせよ」

「まずは、町衆への注意喚起でございます。奉行所のお触れとして、『子や孫を名乗り、金銭を要求する電話には十分注意せよ』と、町中に張り紙を出すのはいかがでございましょうか。また、寺子屋の師匠や、町の年寄りの会合などで、この手の詐欺の手口を具体的に説明し、注意を促すのでございます。老夫婦の方々は、情報に疎い方もおられますれば、繰り返し注意を促すことが肝要かと」

「うむ、それは悪くない。しかし、それだけでは、根本的な解決にはならぬであろう。奴らは、警戒が厳しくなれば、また新たな手口を考えるに違いない」

「お代官様のお見識、まことに恐れ入ります。次に、不審な電話の通報を奨励することでございます。町人たちには、もし不審な電話がかかってきたら、すぐに奉行所に知らせるよう促す。そして、その情報をもとに、手がかりを探るのでございます」

「情報収集は重要だな。しかし、通報があったところで、すぐに捕らえられるとは限らぬ。もっと根本的な策はないものか」

玄蕃は眉間に皺を寄せた。越後屋は、さらに続けた。

「ははあ。それから、もし詐欺被害に遭ってしまった者がいれば、速やかに相談できる窓口を設けるのはいかがでしょうか。奉行所に直接来ることを躊躇う者もいるでしょうから、例えば、町年寄りの屋敷の一角を借りて相談所を設けるなど。そこで、被害の状況を詳しく聞き取り、場合によっては、金銭的な救済策を検討することも必要かと存じます」

「金銭的な救済か……。それはまた、税として徴収した金を民に施すということ。容易なことではないが、しかし、弱き者を救うのも為政者の務め。検討の余地はあるな」

玄蕃は腕を組み、思案顔で頷いた。

「そして、最も難しいことではございますが、この手の詐欺を働く輩を、徹底的に取り締まることでございます。奴らは、決まって足のつかぬ場所から電話をかけ、金を受け取る役目を別の者にやらせるなど、巧妙に尻尾を掴ませぬようにいたします。ゆえに、奉行所の同心や目明かしだけでなく、裏社会に通じた者たちをも動員し、その根城を突き止め、一網打尽にする必要がございます」

越後屋の言葉に、玄蕃の目が光った。

「なるほど、裏社会の者どもをも動員するとな。そちならば、そのような輩に心当たりもあるであろう」

「お代官様には、及びもつかぬことではございますが、この越後屋めも、日頃、銭儲けのためには、様々な裏道も通っておりますゆえ、多少の心得はございます。しかし、この手の詐欺師どもは、特定の場所には留まらず、まるで水銀のように形を変え、人々の隙をついては姿を現す。まさに、得体の知れぬ化け物のようなものでございます」

「化け物か……。だが、どんな化け物であろうと、必ず弱点がある。越後屋、そちが言うように、この手の詐欺師どもの手口は巧妙だ。だが、巧妙であればあるほど、どこかに綻びがあるはず。その綻びを、そちとわしで探し出すのだ。そして、根こそぎ捕らえ、二度とこのような卑劣な真似ができぬよう、厳しく処断する」

玄蕃の言葉には、いつもの悪代官のニヤリとした笑みではなく、静かなる怒りが宿っていた。越後屋もまた、真剣な面持ちで玄蕃の言葉を聞き入った。

「ははあ。お代官様のお考え、まことに素晴らしい。この越後屋めも、お代官様のお力になれるよう、できる限りのことをさせていただきます。市井の情報を集め、怪しい動きがあれば、すぐにでもお代官様にご報告いたしまする」

「うむ。頼むぞ、越後屋。そちの持つ情報網と、わしの権力をもってすれば、必ずやこの『もしもし詐欺』とやらを根絶できるはず。親を騙し、子を騙るなど、人の道に外れた所業は、この玄蕃が絶対に許さぬ」

玄蕃は、油灯の炎を見つめながら、静かに拳を握りしめた。越後屋は、そんな玄蕃の姿を見て、改めてこの悪代官の持つ、ある種の正義感のようなものを感じ取っていた。

「さあ、越後屋。今宵の密談はこれにてお開きとしよう。しかし、この件は、そちとわしだけの秘密。くれぐれも、他言無用ぞ」

「お代官様、ご心配なく。この越後屋め、口は堅うございます。それでは、これにて失礼いたします」

越後屋は深々と頭を下げ、静かに部屋を後にした。残された玄蕃は、再び扇子を開き、ゆっくりと風を送る。窓の外では、まだ雨が降り続いていた。しかし、その雨音は、どこか、新たな世直しへの序曲のようにも聞こえた。

玄蕃は心の中で呟いた。

(「もしもし詐欺」とやら……。人の弱みにつけこむ悪行は、この黒沼玄蕃が悪事と知りながらも、決して見過ごすことはできぬ。越後屋、そちと共に、必ずや世の平穏を取り戻してくれるわ!)

そして、玄蕃は静かに目を閉じ、次なる一手について深く思索を巡らせ始めた。

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