「越後屋、首尾はどうじゃ?」
月明かりも届かぬ、黒沼玄蕃の屋敷の奥座敷。墨を溶かしたような闇の中、玄蕃の声だけが低い唸りのように響いた。向かいに座る越後屋宗右衛門は、わずかに体を震わせながらも、その口元にはぬらりとした笑みを浮かべていた。
「へえ、お代官様。お耳に入れるのが恐れ多いほどの、とんでもない仕掛けがまとまりつつございます」
越後屋は懐から一枚の書状を取り出し、玄蕃の前にそっと差し出した。書状には見慣れぬ文字と記号が羅列されており、玄蕃は眉をひそめた。
「これは一体…?」
「はい、お代官様。巷で噂の**『茶斗愚秘手威(チャットGPT)』**にございます」
「ちゃっと、じーぴーてぃ…? 何とも聞き慣れぬ名じゃな」玄蕃は首を傾げた。「それが、一体どう金になるというのだ?」
越後屋はにやにやと笑い、声を潜めた。
「お代官様、この『茶斗愚秘手威』と申すものは、人の言葉を解し、まるで人間が話すように文章を紡ぎ出すという、まことに奇妙奇天烈な仕組みにございます。聞けば、遠く異国の地で生まれた化け物で、人々の問いかけに対し、瞬く間に答を返すのだとか」
玄蕃は興味をそそられたように身を乗り出した。
「ほう。それは面白そうじゃのう。だが、それがどうして我らの懐を温めるというのだ?」
「それがでございます、お代官様。この『茶斗愚秘手威』を、我らが意のままに操ることができれば…」越後屋は一度言葉を切り、玄蕃の顔色を窺った。「世の情報を意のままに操り、民草をたぶらかすことなど、造作もないこと。そして、そこから莫大な銭を生み出すことができましょう」
玄蕃は顎髭を撫でながら、その言葉の真意を測るように目を細めた。
「なるほど、そちの申すことは分からぬでもない。だが、具体的にどう使うつもりじゃ? 民をたぶらかすと言っても、そう易々とはいくまい」
「ごもっともでございます、お代官様。しかし、この『茶斗愚秘手威』は、既存の知識を基に、あたかも真実であるかのように新たな物語を紡ぎ出すことができるのです。例えば、流行りの病が蔓延していると触れ込めば、人々は薬を求め、その薬を我らが独占すれば…」
玄蕃の目に、ギラリと欲の光が宿った。
「うむ…悪くない。しかし、それだけではすぐに尻尾を掴まれよう。もっと巧妙な手立てが必要だ」
越後屋は待ってましたとばかりに、さらに身を乗り出した。
「ご安心ください、お代官様。この『茶斗愚秘手威』の真の恐ろしさは、その『学習能力』にございます。我らが与えた情報を基に、自ら進化し、より巧妙な嘘を紡ぎ出すことができるのです。例えば、新興宗教の教えをでっち上げ、その教義を『茶斗愚秘手威』に語らせれば…」
「なんと! それは…」玄蕃は言葉を失った。「それはまことに、恐ろしい化け物よのう。だが、その恐ろしさが、我らには福となると申すか」
「まさにその通りでございます、お代官様。我らはこの『茶斗愚秘手威』を使い、あらゆる情報を操作いたします。例えば、ある藩の財政が傾いているという噂を流し、その藩の領地を安く買い叩く。あるいは、特定の産物が不作であると触れ込み、その価格を高騰させる。さらには…」
越後屋はさらに声を潜め、耳元で囁くように続けた。
「お代官様の政敵の失脚を目論む際にも、この『茶斗愚秘手威』は役立ちましょう。彼らが不正を働いているかのような物語をでっち上げ、それが世間に広まるように仕向けるのです。あたかも、真実であるかのように」
玄蕃は深く頷いた。
「なるほど、なるほど。それはまさに、天啓じゃな。しかし、その『茶斗愚秘手威』とやらを、どうやって手に入れるのだ? 異国の化け物と申すなら、そう簡単に手に入るとも思えぬが」
「そこはご安心ください、お代官様。わたくしめが、遠く南蛮との交易で財を成した者たちと密かに手を結び、この『茶斗愚秘手威』の雛形を手に入れることに成功いたしました。彼らはこの技術を秘匿しようとしておりますが、銭の力は偉大でございます」
越後屋は自信満々に胸を張った。
「そのほう、よくやった! しかし、それを動かすには、また新たな銭がかかるのではなかろうな?」
玄蕃は疑いの目を向けた。これまでも、越後屋の持ち込む話は、常に新たな投資を要求するものばかりだったからだ。
「いえいえ、お代官様。初期投資はかかりますが、一度稼働させれば、あとはこちらの手のひらの上でございます。この『茶斗愚秘手威』を動かすには、大量の『電気』と申すものが必要となりますが、それはすでに手配済みでございます。さらに、この『茶斗愚秘手威』を操るための『専門家』も、すでに何人か囲っております」
「専門家、だと?」玄蕃は訝しげに尋ねた。
「はい。彼らは『茶斗愚秘手威』の仕組みを理解し、我々の意図する文章を紡ぎ出させるための『呪文』を操る術を知っております。彼らを匿い、我々の悪だくみに利用するのです」
玄蕃は満足そうに口角を上げた。
「ふむ。完璧じゃな。越後屋、そちはまことに、才覚に長けた男よ。では、まずは手始めに、何から始めるつもりじゃ?」
越後屋は扇子を広げ、ゆっくりと顔を覆い隠した。その隙間から覗く目は、ぎらぎらと欲望に燃えていた。
「へえ。まずは、お代官様のお膝元で、小規模ながらも『茶斗愚秘手威』の力を試してみてはいかがかと存じます。例えば、とある村の農民たちを相手に、豊作を約束する預言を語らせ、特定の種籾を高値で売りつけるなど…」
「くくく…面白い。それは悪くない。手始めにはちょうど良いかもしれぬ」
玄蕃は高笑いした。その笑い声は、闇の中で不気味に響き渡った。
「しかし、越後屋。くれぐれも油断はするなよ。この『茶斗愚秘手威』とやらが、もし我々の手を離れて暴走でもしたら、それこそ大変なことになる」
「ご心配には及びません、お代官様。この『茶斗愚秘手威』は、あくまで我々の道具。我々が与える情報によってのみ動き、我々の意図する方向にしか進みませぬ。それに、万が一の事態に備え、わたくしめは秘策も用意しております」
越後屋はにやりと笑い、玄蕃にしか聞こえぬような小声で続けた。
「この『茶斗愚秘手威』には、意図的に『限界』を設けておりますゆえ。ある一定の悪事を重ねれば、自ら機能停止するように細工をしてございます。その間に、我らは次の『茶斗愚秘手威』を用意し、際限なくこの金儲けのからくりを続けることができるのです」
玄蕃は感嘆の声を漏らした。
「なんと! それは…まさしく鬼の所業! さすがは越後屋、そちの悪知恵にはいつも感服するばかりじゃ。よし、では早速に取り掛かるのだ。この『茶斗愚秘手威』、世にも恐ろしい化け物を使って、思う存分、私腹を肥やしてやろうではないか!」
二人の悪党の密談は、夜が更けるまで続いた。彼らの企む悪事は、この国の未来を、そしてそこに暮らす民の運命を、大きく揺るがすことになるであろう。
コメント