城下はずれ、ひっそりとした屋敷の奥座敷には、しんとした静寂が漂っていた。障子の向こうからは、ひぐらしの声が遠く聞こえるばかり。上座には、いかにも悪代官といった風情でふんぞり返る黒沼玄蕃。その向かいには、油で肥え太った越後屋宗右衛門が、盆に載せた菓子を恭しく差し出していた。
「越後屋、今日の菓子もまた格別だな」玄蕃は菓子を一つ摘み、ゆっくりと口に運んだ。 「ははあ、お代官様にお口に合いましたようで、まことに光栄にございます」宗右衛門はにじり寄り、得意げにへらへらと笑う。 「して、先ほど申しておった、あの奇妙な書物の話だが……」玄蕃は菓子を噛み締めながら、意味ありげに視線を向けた。 「へい、お代官様。それがしが先日、南蛮渡りの商人と手に入れたという、まことに奇妙な書物にございます」宗右衛門は、懐から古びた羊皮紙の巻物を取り出した。その巻物には、見慣れない文字と不気味な絵が描かれている。 「これが、そのノストラダムスとやらが書いたというものか」玄蕃は巻物を手に取り、じろじろと眺めた。「うむ、何やら不気味な絵が描いてあるが、文字は読めぬな。そち、これが何を予言しておると申すのだ?」 宗右衛門は、膝を突き出しながら、得意げに語り始めた。「へい、お代官様。この書物によれば、遠い未来において、この世の終わりが訪れるというのでございます。火と水と、そして空からの災いによって、世界は滅び去ると……」 「ほう、この世の終わりとな。面白きことを申すではないか」玄蕃は興味深そうに眉をひそめた。「で、その終わりとやらは、いつ頃来るのだ?」 「それが、まことに恐ろしいことに、この書物には年号が明確には記されておりませぬで……。ただ、なんでも『千九百九十九の年、七の月』と、はっきりと記されておりますゆえ、おそらくはそれがしらの生きているうちのことではなかろうかと」宗右衛門は、身震いするようなそぶりを見せた。 「千九百九十九年、七の月か……」玄蕃は腕を組み、深く考え込んだ。「ずいぶん先の話ではないか。そのような先のことを、今ここで案ずる必要がどこにある?」 「へい、お代官様。それがしは、この予言には、なにかしらの意味があるように思えてならぬのでございます。もし、本当にこの世の終わりが来るのであれば、我らは一体どうすればよいのかと……」 「ふむ、そちがそこまで案ずるほどのことか。しかし、この世の終わりとやらが来たところで、我らに何ができるというのだ?」玄蕃は冷ややかな目を向けた。 「それがし、考えましてございます。もし、この予言が真実であれば、世は乱れ、人々は恐慌に陥りましょう。そのような時こそ、我らのような者が、世を収める好機となるのではと……」宗右衛門は、不敵な笑みを浮かべた。 玄蕃は、宗右衛門の言葉にぴくりと反応した。「ほう、世を収める、とな。具体的には、どういうことだ?」 「へい、お代官様。例えばでございますが、この予言をうまく利用し、庶民を扇動するのです。不安を煽り、混乱に乗じて、我らが新たな秩序を築くのでございます」宗右右衛門の声には、邪悪な響きがあった。 「新たな秩序か……」玄蕃は、再び巻物に目を落とした。「しかし、この予言がもし、でたらめであったらどうする? そちは、無駄骨を折るだけでなく、世間の笑い者になるぞ」 「お代官様、それはご心配には及びませぬ。もしでたらめであったとて、この予言は、我らが世を動かすための、格好の道具となりましょう」宗右衛門は、自信満々に胸を張った。「例えば、飢饉や疫病が流行した折には、『これも予言の通り、終末の兆しである』と触れ回れば、庶民はますます我らの言うことを聞くようになるでしょう。そして、困窮した彼らから、銭を巻き上げるのです」 「なるほど、それは面白い。だが、あまりにも露骨に利用すれば、すぐにばれるであろう。世間の者は、決して愚かではないぞ」玄蕃は、宗右衛門の顔をじっと見つめた。 「へい、お代官様。ゆえに、そこは慎重に、そして巧妙に事を運ぶ必要がございます。まずは、この予言を広めることから始めましょう。それも、怪しげな僧侶や、物知り顔の浪人を使って、それとなく広めるのです」 「ふむ、それは悪くない。噂というものは、人の心を揺さぶるものだからな」玄蕃は、満足げに頷いた。「しかし、それだけでは、まだ足りぬ。もっと大掛かりな仕掛けが必要であろう」 「お代官様、ご明察にございます。そこで、考えましてございますのが、偽の奇跡でございます」宗右衛門は、声を潜めた。「例えば、我らが管理する寺社で、突如として奇妙な現象が起こったと触れ回るのです。空から光が差したり、枯れた木に花が咲いたり、などと。そして、それらを全て、この予言と結びつけるのです」 「偽の奇跡か……。それは、なかなか大胆な手だな。だが、もしそれが偽りだと露見すれば、我らは窮地に陥るぞ」 「お代官様、ご安心くだされ。そのために、それがしがおります。偽の奇跡を本物と見せかけるための、様々な仕掛けがございます。煙や音、光を巧妙に使い、庶民の目を欺くのです」宗右右衛門は、悪だくみをするような表情でにやりと笑った。 玄蕃は、宗右衛門の提案に、次第に乗り気になっていく。「なるほど、それならば、確かに説得力があるやもしれぬ。偽の奇跡と予言を組み合わせれば、庶民は我々の言うことを信じるようになるだろう」 「へい、お代官様。そして、彼らが恐怖に怯え、混乱している隙に、我らは彼らの財を巻き上げるのです。例えば、不安に駆られた庶民に『終末を乗り越えるには、神仏の加護が必要である』と説き、多額の寄進を募るのです」 「ふむ、それは悪くない。寄進か……。名目はいくらでも作れるな」玄蕃は、にやりと口元を歪ませた。「しかし、それだけでは、まだ物足りぬ。もっと、根本的に世を牛耳る方法はないものか?」 「お代官様、さようございますか。では、もう一つ、壮大な計画がございます」宗右衛門は、さらに身を乗り出した。「この予言を利用し、幕府を動かすのでございます」 「幕府を動かす、だと? そち、何を申しておるのだ」玄蕃は、驚いて目を見開いた。 「へい、お代官様。この予言を、幕府の要人たちに吹き込むのです。もし、本当にこの世の終わりが来るのであれば、今の体制では立ち行かぬと。そして、世を救うためには、新しい力が必要であると説くのです」 「新しい力とは、我々のことか?」 「へい、お代官様。さようございます。混乱に乗じて、幕府の権力を掌握するのです。そうすれば、この国の全てが、お代官様のものとなります」宗右衛門の目は、欲望にギラギラと光っていた。 玄蕃は、宗右衛門の言葉に、しばし沈黙した。そして、ゆっくりと口を開いた。「それは、あまりにも壮大すぎる話ではないか? もし、失敗すれば、我らはただでは済まぬぞ」 「お代官様、恐れることはございません。このノストラダムスとやらの予言は、それほどの力を持っているのです。そして、この計画が成功すれば、お代官様は、この国の真の支配者となられるでしょう」 玄蕃は、宗右衛門の言葉に、次第にその気になっていった。「支配者か……。それは、魅力的ではあるな」 「へい、お代官様。そして、支配者となられた暁には、この越後屋めを、どうかお忘れなきよう……」宗右衛門は、再び頭を下げた。 「当然であろう、越後屋。そちの功績は、決して忘れはせぬ。だが、この計画、本当にうまくいくのか?」玄蕃は、なおも疑念を抱いているようだった。 「お代官様、ご安心くだされ。この越後屋、これまで幾多の修羅場をくぐり抜けてまいりました。この計画も、必ずや成功させてみせましょう」 「うむ……。ならば、まずはそのノストラダムスとやらについて、さらに詳しく調べることとしよう。そして、その予言を広める手はずを整えよ。決して、足元を見られぬようにな」 「へい、お代官様。かしこまりました。すぐに手配いたします」 宗右衛門は、満面の笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。彼の心の中では、既に膨大な富と権力が、その手中に収まる幻が見えていた。玄蕃もまた、遠い未来の支配者の座を夢見て、満足げに目を閉じた。
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