悪代官と越後屋の密談「マンション投資」

「越後屋、今日の稼ぎはどうじゃった?」

黒沼玄蕃は、上機嫌な声で越後屋宗右衛門に問いかけた。黒光りする太い梁が渡された屋敷の一室で、二人の間には煌びやかな膳が並べられている。玄蕃の傍らには、まだあどけなさの残る禿(かむろ)が酒を注ぎ、その艶やかな振袖の袖が、ほんのりと香を漂わせる。

「ははぁ、お代官様には及びもつきませぬが、おかげさまで、今日のところはまずまずといったところでございます」

越後屋は深々と頭を下げ、にやけ面を隠そうともしない。分厚い帳面を懐から取り出し、玄蕃の前に差し出した。玄蕃はそれを一瞥し、満足そうに頷く。

「うむ。相変わらず抜かりないのう、越後屋。そちの才覚にはいつも感心させられるわい」

玄蕃は盃を傾け、禿が注ぐ酒を喉奥に流し込む。舌の上で転がる芳醇な米の香りが、さらに玄蕃の気分を高揚させた。

「もったいのうございます。全てはお代官様の日頃のご威光あってのこと。この越後屋めが、いささかなりともお役に立てるのであれば、これに勝る喜びはございません」

越後屋は謙遜しながらも、その目は爛々と輝いている。玄蕃はそんな越後屋の様子を面白そうに眺め、ふと、今日の昼間に耳にした話を持ち出した。

「ところで越後屋、先日、江戸で耳にした話なのだがな。どうやら世間では『マンション投資』なるものが流行っているらしいではないか」

玄蕃の言葉に、越後屋の顔色が変わった。驚きと興味が入り混じったような表情で、越後屋は玄蕃を見上げる。

「マンション投資、でございますか? それはまた、いかなるものにございまするか?」

越後屋は身を乗り出し、玄蕃の次の言葉を促した。玄蕃はにやりと笑い、杯を置いた。

「うむ。私も詳しいことは分からぬが、なんでも、金を出すだけで住まいの部屋を手に入れ、それを他人に貸し付けて家賃を得るのだとか。中には、買った時よりも高く売れることもあると聞く」

玄蕃は、禿が器用に剥いた蜜柑を口に放り込みながら説明した。越後屋は顎に手をやり、深く考え込むように目を閉じる。

「なるほど……それはまた、おもしろい仕組みでございますな。いわば、大家業を規模を大きくして行うようなものにございましょうか」

越後屋は目を開き、その探求心に満ちた瞳で玄蕃を見つめた。

「左様。しかし、現代では土地を所有せずとも、建物の一室のみを売買するのだと聞いた。まことに奇妙な話よのう」

「ふむ、土地は代々受け継がれるもの、という我らの常識とはかけ離れた発想でございますな。しかし、それはそれで、新たな利を生み出す可能性を秘めているやもしれませぬ」

越後屋は身を乗り出し、まるで目の前にその「マンション」とやらが実際にあるかのように、熱心に想像を巡らせ始めた。

「まず、部屋を貸し付けて家賃を得る、という点。これは我らが長屋を貸して店賃を得るのと何ら変わりございません。違いは、部屋の作りが長屋とは比較にならぬほど頑丈で、防火にも優れ、何より一区画が狭いゆえに、多くの部屋を一度に所有できるという点にございましょう」

越後屋はそこまで言うと、一旦言葉を切って玄蕃の顔色を窺った。玄蕃は興味深そうに頷き、越後屋に先を促す。

「そして、購入時よりも高く売れるという点。これは、まさに投機の極み。相場を見極め、安値で仕入れ、高値で売り抜ける。我らが米相場や為替で儲けるのと、道理は同じにございます」

越後屋の言葉に、玄蕃の目が細められた。

「なるほど、そちの言うことはもっともだ。しかし、このマンション投資とやら、危険はないのか? 例えば、借り手がつかぬとか、相場が下がるとか、そういったことはないのか?」

玄蕃の問いに、越後屋はにやりと笑った。

「もちろんでございます、お代官様。世の中に、危険のない儲け話など、ございませぬ。借り手がつかぬこと、相場が下がることは、十分にあり得るでしょう。しかし、それをいかに回避し、あるいは利用するか、そこにこそ我らが腕の見せ所がございます」

越後屋はそう言って、再び帳面を取り出した。

「例えば、場所でございます。やはり、人の多く集まる場所、例えば江戸の中心地であれば、借り手には困りませぬでしょう。また、そのような場所の建物は、時が経っても価値が落ちにくい。逆に、人が少ない場所の建物は、借り手もつきにくく、価値も下がりやすいと推察いたします」

「うむ、それは道理だ。江戸の長屋とて、裏路地の寂れた長屋と、賑やかな表通りの長屋では、店賃も価値も大きく異なるからのう」

玄蕃は深く頷いた。

「まさにそうでございます。そして、建物の質も重要でございましょう。手抜き工事の粗悪な建物では、すぐに傷みがきて、修繕に莫大な費用がかかるやもしれません。しかし、頑丈で美しい建物であれば、借り手も喜んで住み、長く家賃を払い続けてくれるでしょう」

「ふむ……となると、目利きが肝心ということか。質の良い物件を見抜き、安く買い叩く。そして、立地がよく、人の往来が多い場所を選ぶ。相変わるなことよのう、我らの商売と」

玄蕃は感心したように言った。越後屋は得意げに胸を張る。

「左様でございます。そして、もう一つ。この『マンション』とやらは、一棟を多くの者が所有し、管理する仕組みであると聞き及んでおります。つまり、建物の修繕や管理は、自分一人で行うわけではなく、皆で費用を出し合って行う。これは、大家にとっては非常にありがたい仕組みでございましょう」

「なるほど、それは賢い。皆で金を出し合えば、一人の負担は軽くなる。もし、どこぞの長屋のように、持ち主が金がなく、屋根が崩れても放っておくようなことがあれば、借り手は皆逃げてしまうからのう」

玄蕃は、越後屋の言葉に耳を傾けながら、現代の不動産投資の仕組みを理解しつつあった。

「しかし、越後屋。このマンション投資とやらで、本当に大金を掴むことができるのか? そちの才覚を持ってすれば、どのような策を講じる?」

玄蕃は、酒杯を越後屋に差し出した。越後屋は畏まってそれを受け取り、一気に呷る。

「ははぁ、お代官様。この越後屋めがもし現代に生を受けておりましたならば、まずは江戸城にほど近い、最も人通りが多く、見晴らしの良い場所に建つ『マンション』とやらに目をつけるでしょう」

越後屋はそう言って、目を輝かせた。

「しかし、そのような場所のものは、さぞかし値が張るのではあるまいか?」

玄蕃の問いに、越後屋は不敵な笑みを浮かべた。

「左様でございます。しかし、そこで越後屋の出番にございます。まずは、そのような上等な物件をいくつか物色し、売り主の事情を探りまする。もし、急な金の入り用で、多少安値でも手放したいと考える者がいれば、そこを狙うのでございます」

「なるほど、人の弱みにつけ込むか。悪よのう、越後屋」

玄蕃は面白そうに言う。

「お褒めの言葉、光栄にございます。そして、手に入れた部屋は、すぐに貸し出すのではございませぬ。まずは、内装をいささか豪華に改装いたします。例えば、壁には上等な京壁紙を貼り、床には磨き上げられた黒檀の板を敷き詰める。風呂や厠も、最新式のものに入れ替えるのです」

越後屋の言葉に、玄蕃は目を見開いた。

「それはまた、随分と金をかけるのう。それでは、元が取れぬのではないか?」

「いえいえ、お代官様。左様にございませぬ。人は皆、良いものには金を払うもの。特に、現代では『贅沢』を求める者が増えておると聞き及んでおります。多少家賃が高うても、快適で美しい部屋であれば、喜んで借り手はつきましょう」

越後屋は自信満々に語る。

「そして、借り手がつきましたならば、その部屋を担保に、さらに金を借りるのです。そして、その金で別の『マンション』を購入する。これを繰り返せば、わずかな元手で、多くの部屋を手に入れることができましょう」

「なんと! それはまた、大胆な策よのう。しかし、もし借り手がつかなくなれば、あっという間に破産してしまうのではないか?」

玄蕃は、越後屋の大胆な発想に驚きを隠せない。

「もちろんでございます。ゆえに、目利きが肝心。そして、常に世間の動向に目を光らせ、流行を読み解く力が必要でございます。もし、この江戸に新たな大店(おおだな)が開店するとか、大きな祭りが開催されるとか、人が多く集まるような噂が流れれば、その近くの物件はすぐに値上がりいたします。そのような情報をいち早く手に入れ、先んじて手を打つのです」

越後屋は、まるで獲物を狙う鷹のように、鋭い目をしていた。

「情報か……。それはまた、我らの世界でも同じよのう。米相場とて、天候の情報をいち早く掴めば、儲けはいくらでも転がっておる」

玄蕃は、越後屋の言葉に深く共感した。

「左様でございます。そして、万が一、相場が下がり始めたならば、すぐに売り払う勇気も必要でございます。欲に目がくらみ、売り時を逃せば、取り返しのつかぬことになりかねませぬ」

越後屋は、そこまで言うと、少し間を置いた。

「そして、何よりも重要なのは、お代官様のようなお力のある方の後ろ盾にございます。このマンション投資とやらも、結局は人の営み。いざという時に、力のある方がいらっしゃれば、いかなる困難も乗り越えることができましょう」

越後屋は、そう言って玄蕃に深々と頭を下げた。玄蕃は満足そうに笑い、越後屋の肩をポンと叩いた。

「ハハハ! 越後屋、相変わらず抜け目のないやつよのう。しかし、そちの才覚はまことに見事じゃ。もし、現代に生まれ落ちていたならば、そちはきっと大富豪になっていたことであろうよ」

「もったいのうございます。全てはお代官様のご指導ご鞭撻の賜物にございます。この越後屋め、これからもお代官様のお役に立てるよう、一層精進いたしまする」

越後屋は、さらに深く頭を下げた。玄蕃は酒をもう一杯呷り、ほろ酔い加減で、現代の「マンション投資」について思いを巡らせた。

「それにしても、世の中は変わるものよのう。土地を所有せずとも、住まいの一部を売買するとは……。しかし、結局のところ、人の欲に付け込み、金儲けをするという本質は、いつの世も変わらぬということか」

玄蕃はそう呟くと、遠くの江戸の夜空を見上げた。月が煌々と輝き、その光は、悪代官と越後屋の悪だくみを、静かに照らしていた。

「越後屋、もし、本当にその『マンション投資』とやらを始めるとしたら、まず何から手をつけるべきじゃと思う?」

玄蕃の問いに、越後屋は顔を上げ、にやりと笑った。

「ははぁ、お代官様。それはもちろん……」

越後屋の言葉は、満月が照らす静かな夜に吸い込まれていった。

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