「越後屋、今日の儲けはどうだ?」
黒沼玄蕃は、上機嫌で茶を啜っていた。向かいに座る越後屋宗右衛門は、深々と頭を下げる。
「お代官様におかれましては、本日もご機嫌麗しゅうございます。おかげさまで、ささやかながらも銭の音が心地よく響いておりまする」
宗右衛門はにやつきながら、懐から分厚い算盤を取り出す。
「ほう、それは結構なことだ。して、今日の越後屋の儲けは、この玄蕃の懐にも響くようなものか?」
玄蕃は意地の悪い笑みを浮かべ、宗右衛門の顔を覗き込む。宗右衛門は慌てて首を振る。
「滅相もございません!お代官様のお導きなくして、この越後屋、斯様な商売は成り立ちませぬ。今日の儲けの半分は、お代官様への献上金として用意しておりまする」
「うむ、よく心得ているな、越後屋。それでこそ、この玄蕃が目をかけてやる甲斐もあるというものだ」
玄蕃は満足げに頷き、茶碗を置いた。
「して、越後屋。近頃、耳にするのは、町中での遺産相続のいざこざよ。あれはなかなか興味深い。銭の恨みは、武士の恨みよりも根深いと申すからな」
玄玄蕃の言葉に、宗右衛門は膝を叩いた。
「お代官様もご存知でございましたか!まさに今、大店の旦那衆の間で、血で血を洗うような争いが起きておりまする。先だって亡くなられた大商人、千石屋の旦那様の遺産を巡って、ご子息方が骨肉の争いを繰り広げておるとか」
「ほう、千石屋の旦那か。あの男は確か、生前にずいぶんと稼いでいたはず。それが故に、争いが起きるのも当然というもの。しかし、その争い、越後屋にとっては良い商売の種になるのではないか?」
玄蕃は越後屋の顔をじっと見つめる。宗右衛門は、さらに深く頭を下げた。
「お代官様のお見通しでございます。遺産相続の揉め事は、まさに越後屋の腕の見せ所。まずは、揉めている当事者の懐具合を探り、いかにすれば銭を毟り取れるか、算段を巡らせておりまする」
宗右衛門は、悪どい笑みを浮かべた。
「例えば、千石屋のご子息の一人は、女狂いで借金まみれ。もう一人は、頑固一徹で融通が利かぬ。そして、隠し子がいるとの噂も。これほどまでに複雑に絡み合った糸を解きほぐすには、並大抵のことではございません」
玄蕃は手を叩いて笑った。
「面白い!まさに人間模様よな。越後屋、その複雑な糸を解きほぐすのではなく、さらにこんがらがらせて、それぞれの懐から銭を吐き出させるのが、そちの仕事だろう?」
「お代官様のおっしゃる通りでございます!まずは、それぞれの言い分を聞き入れ、あたかも味方であるかのように装います。そして、互いの不信感を煽り、争いをさらに激化させるのです。そうすれば、いずれは越後屋の元へ、助けを求めて参ります」
宗右衛門は、得意げに胸を張る。
「そこで、越後屋、そちはどうする?まさか、ただで助けてやるわけではあるまいな?」
「滅相もございません!そこで登場するのが、越後屋お得意の『仲介料』でございます。揉め事が大きくなればなるほど、仲介料は高額になります。さらには、争いの解決には、お代官様のお力添えが必要であると吹き込み、お代官様への『口利き料』もいただく算段でございます」
宗右衛門は、さらに声を潜めた。
「そして、もしも争いが泥沼化し、訴訟沙汰にでもなれば、いよいよ越後屋の出番でございます。訴訟に必要な訴状の作成、証人の手配、そして、何よりも重要なのは、お代官様を通じた奉行所への根回しでございます」
玄蕃は、満足げに頷いた。
「うむ、流石は越後屋。そちの悪知恵には感心する。しかし、遺産相続のトラブルは、時に血を見る争いに発展することもある。そのあたりは、どう考えているのだ?」
「お代官様、ご安心ください。血を見るような事態に発展すれば、それはそれで、越後屋にとってはさらに大きな商機となります。例えば、片方の当事者が危篤状態になれば、その者の遺言書を偽造したり、あるいは、遺産を隠蔽したりすることも可能でございます」
宗右衛門の顔は、さらに醜悪な笑みを浮かべた。
「遺言書の偽造となると、なかなか大掛かりなことになりそうだな。証人も必要だろうし、筆跡鑑定などという厄介なものもある。そこは、どうする?」
玄蕃は、興味津々といった様子で宗右衛門に問いかけた。
「お代官様、ご心配には及びませぬ。越後屋には、腕の良い偽筆の職人がおりまする。いくらでも本物そっくりの遺言書を作成できます。そして、証人には、日頃から越後屋の世話になっているならず者たちを雇い、口裏を合わせさせれば良いのです。彼らは銭のためなら、どんな嘘でもついてくれますからな」
「ほう、それは頼もしいな。しかし、万が一、露見した場合はどうする?そちもただでは済まされまいぞ」
玄蕃は、宗右衛門の顔をじっと見つめる。
「お代官様、万が一のことがあれば、すべては亡くなった者の仕業といたします。あるいは、争っている当事者同士の罠に嵌められたとでも言い立てれば、越後屋は身軽に逃げられます。何しろ、越後屋はあくまで『仲介人』でございますからな」
宗右衛門は、したり顔で答えた。
「なるほど、越後屋、そちは抜け目がないな。しかし、遺産相続のトラブルの中には、親族間の確執が深く、銭だけでは解決できないものもあるのではないか?」
「お代官様、銭で解決できない問題など、この世にはございません。親族間の確執が深ければ深いほど、互いに意地を張り、銭を積んででも相手を陥れようといたします。その欲望こそが、越後屋の力の源でございます」
宗右衛門は、不敵な笑みを浮かべた。
「例えば、とある武家の家督争いでは、跡継ぎ候補の兄弟が互いに相手を蹴落とそうと画策しております。兄は正妻の子ですが、体が弱く病気がち。弟は側室の子ですが、才覚に優れておりまする。このような場合、越後屋はどうするか、お代官様にご教授願いたく存じます」
宗右衛門は、玄蕃に問いかける。玄蕃は、ふむ、と顎に手を当てた。
「うむ、それは面白い。武家の家督争いとなると、銭だけでなく、家の名誉や血筋も絡んでくるからな。越後屋、そちならばどうする?」
「お代官様、斯様な場合は、まず双方の弱みを握ります。兄であれば病弱であることを、弟であれば側室の子であることを、それぞれに突きつけ、不安を煽ります。そして、互いに相手を陥れるための策を、越後屋が授けるのです」
「策を授けるとは、具体的にどうするのだ?」
玄蕃は、身を乗り出した。
「例えば、兄には、弟が家臣と通じ、謀反を企んでいると吹き込みます。弟には、兄が隠れて女遊びに興じ、家の名を汚していると触れ回ります。そうすれば、互いに疑心暗鬼となり、争いはさらに激化いたします」
「なるほど、それは面白い。しかし、最終的にはどちらかを勝たせることになるのだろう?その勝者から、銭を毟り取るのか?」
玄蕃の問いに、宗右衛門はにやりと笑った。
「お代官様、その通りでございます。最終的には、より多くの銭を積んだ方を勝者といたします。そして、敗者からは、今後の口封じと称して、さらに銭を巻き上げるのです。どちらが勝とうと、越後屋の懐は潤う仕組みでございます」
「越後屋、そちはどこまでも悪辣だな。しかし、その悪辣さが、この玄蕃の気に入った。遺産相続のトラブルは、人間が持つ醜い欲望が剥き出しになる場でもある。それをうまく利用すれば、いくらでも銭を生み出せるというわけか」
玄蕃は、満足げに頷いた。
「お代官様のおっしゃる通りでございます。銭は、人を狂わせ、そして、人を動かす。遺産相続のトラブルは、まさにその縮図でございます」
「ところで越後屋、そちはもしや、将来の自分の遺産相続について、今から画策しているのではないか?」
玄蕃は、宗右衛門の顔をじっと見つめた。宗右衛門は、ギクリとした顔をした。
「滅相もございません!この越後屋めなど、ささやかな商売ゆえ、遺産と呼べるほどのものなど…」
「とぼけるな、越後屋。そちのことだから、今頃、隠し財産でも作って、誰にも知られぬよう隠しているのだろう?そして、いざという時には、誰もが思いもよらぬ方法で、それを独り占めしようと企んでいるに違いない」
玄蕃は、越後屋の顔を覗き込む。宗右衛門は、冷や汗をかきながらも、懸命に平静を装う。
「お代官様のご想像でございます。この越後屋は、お代官様のお膝元で、つつましく商売をさせていただいているだけでございますゆえ…」
「ならば良い。しかし、もしそちが、この玄蕃に隠れて何か企んでいるようであれば、その時は覚悟しておけよ、越後屋。この玄蕃は、そちの悪知恵を凌ぐ悪辣さを持っているのだからな」
玄蕃は、不敵な笑みを浮かべた。宗右衛門は、ゴクリと喉を鳴らす。
「お代官様、そのようなことは決してございません。この越後屋、お代官様あっての越後屋でございますゆえ…」
「うむ、ならばよろしい。さて、越後屋、千石屋の件、引き続き注視しておくのだぞ。何か面白い動きがあれば、すぐにこの玄蕃に報告せよ。そして、もちろん、分け前も忘れるでないぞ」
「かしこまりました、お代官様。越後屋、お代官様のご期待に沿えるよう、いっそう励みまする」
宗右衛門は、深々と頭を下げた。玄蕃は、満足げに茶を啜る。
「お代官様、本日はまことにありがとうございました」
越後屋宗右衛門は、深々と頭を下げた。玄蕃は、腕を組み、満足げに頷く。
「うむ、越後屋。そちのおかげで、今日もまた、面白い話が聞けた。遺産相続の揉め事とは、まさに人間が持つ欲望の坩堝よな」
「お代官様のおっしゃる通りでございます。銭というものは、時に人を狂わせ、そして、人を動かす。越後屋は、その銭をいかにして我が懐に収めるか、日々研鑽を積んでおりまする」
宗右衛門は、にやつきながら答える。
「越後屋、そちの悪知恵には感心するが、あまり深入りしすぎるでないぞ。火傷では済まなくなることもあるからな」
玄蕃は、釘を刺すように言った。
「お代官様、ご心配には及びませぬ。越後屋は、常に危うきに近寄らず、しかし、銭の匂いのするところには、必ずや現れまする」
宗右衛門は、したり顔で答えた。
「うむ、ならばよろしい。では、越後屋、また近いうちに顔を見せろ。面白い話の土産話でも持ってな」
「かしこまりました、お代官様。では、これにて失礼いたしまする」
宗右衛門は、再び深々と頭を下げ、部屋を後にした。
玄蕃は、一人残された部屋で、静かに茶を啜る。窓の外には、夕焼けに染まる町並みが広がっていた。
「銭の恨みは、武士の恨みよりも根深いか…。確かに、この世は銭がすべてを動かしているのかもしれぬな」
玄蕃は、小さく呟いた。彼の脳裏には、遺産相続を巡る人間たちの醜い争いが鮮やかに浮かび上がっていた。そして、その争いの影には、必ずや越後屋のような悪辣な商人が暗躍していることだろう。
玄蕃は、ふっと笑みを浮かべた。自分もまた、その悪辣な商人たちを操り、私腹を肥やす悪代官である。
「この世は、銭と悪知恵で成り立っておる。面白いものよな」
玄蕃は、残りの茶を飲み干し、ゆっくりと立ち上がった。彼の目に、新たな悪巧みが宿っていた。
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