「越後屋、今日の献上はなかなかの出来であったぞ」
黒沼玄蕃は、豪奢な広間に据えられた上等な座椅子に深く身を沈め、満足げに目を細めた。傍らには、見るからに値の張りそうな菓子折が積まれ、馥郁たる香りが漂っている。向かいには、いかにも丁重といった様子で越後屋宗右衛門がかしこまっている。油で光る越後屋の顔には、今日の玄蕃の機嫌の良さがそのまま写し取られているかのようだ。
「ははあ、お代官様におかれましては、ご満足いただけたご様子、越後屋冥利に尽きるというものでございます」
宗右衛門は深々と頭を下げ、相好を崩した。いつもの調子である。玄蕃とて、今さら越後屋のへりくだった態度に何の感慨も覚えない。しかし、その裏にあるしたたかさ、そして潤沢な銭の匂いには、やはり抗いがたい魅力を感じていた。
「して、越後屋。最近、市井では『げえむ』なるものが流行りだしておるそうではないか。老いも若きも、皆その『げえむ』とやらで遊んでおると聞く。わしにはさっぱり分からぬがな」
玄蕃は湯呑を手に取り、ゆっくりと茶を啜った。越後屋は、すかさず玄蕃の湯呑にお茶を注ぎ足しながら、にこやかに答えた。
「はい、お代官様。巷では、それはもう大変な流行りようでございます。特に若い者どもは、日夜『げえむ』に熱中し、中には寝食を忘れる者もいるとか。まことに恐ろしきものにございます」
「ふむ、恐ろしいとはどういうことだ。単なる遊びではないのか?」
玄蕃は訝しげに越後屋を見やった。遊びならば、これほど越後屋が真面目腐った顔をする必要はないはずだ。そこに何か、銭の匂い、あるいは悪事の匂いを嗅ぎ取ったかのように、玄蕃の目が光った。
「それがですね、お代官様。この『げえむ』とやらには、どうやら『課金』なるものがつきものでして…」
越後屋は、ここぞとばかりに声を潜め、玄蕃に耳打ちするように続けた。
「『課金』とは、すなわち、銭を払って『げえむ』を有利に進める、あるいは珍しい品を手に入れるための仕組みでございます。しかし、この『課金』とやらが、どうにも厄介でして…」
「厄介とな? 銭を払うのであれば、欲しいものが手に入るのだろう。何が問題なのだ」
玄蕃は眉をひそめた。単純な話に思える。銭を払って手に入れる。それは悪代官として、むしろ歓迎すべきことではないのか。
「いえ、お代官様。それが、そう簡単な話ではないのです。この『課金』は、一度やり始めると、止められなくなる者が続出していると聞きます。最初はほんのわずかな銭のつもりで始めたものが、いつの間にか家財を傾けるほどの大金になっていた、などという話も耳にいたします」
越後屋は、深刻な面持ちで語った。その顔は、まるで本当に市井の者の苦境を憂いているかのようだが、玄蕃は知っている。越後屋がこのように語るときは、必ず裏に越後屋自身の算盤勘定が働いていることを。
「ほう、それはまことか。たかが遊びに、そこまで銭を投じる者どもがいると申すか。愚かな」
玄蕃は鼻で笑った。しかし、その内心では、ある種の感銘を受けていた。遊びで人をここまで熱中させ、銭を湯水のように使わせるとは、ある意味で自分たちの悪事にも通じるものがあるのではないか。
「まことに愚かでございます。しかし、その愚かさに付け込む者どもがいるのもまた事実。それが、わたくしどもには、なんとも…いえ、なんとも腹立たしいことでございまして…」
越後屋は、わざとらしく嘆息した。その芝居がかった態度に、玄蕃はさらに興味を惹かれた。
「ふむ、付け込むとはどういうことだ。詳しく申してみよ」
「ははあ。例えば、でございますが、お代官様。この『げえむ』には、『がちゃ』と呼ばれるものがございまして…」
越後屋は、さらに声を潜め、玄蕃に身を乗り出した。
「この『がちゃ』と申すは、銭を払って、何が出るかわからぬ籤を引くようなものでございます。中には大変珍しい品や、強力な武具などが当たることもございますが、それはごく稀。ほとんどの場合は、役に立たぬものばかりが出てくるのでございます」
「ほう、それはまさに博打ではないか。わしらが昔からやっているものと同じではないか」
玄蕃は膝を叩いた。なるほど、と合点がいった。博打ならば、人が熱中し、身を滅ぼすほど銭を注ぎ込むことも理解できる。
「左様でございます、お代官様。しかし、この『がちゃ』は、通常の博打とは少々趣が異なる点がございまして…」
越後屋は、さらに言葉を選びながら続けた。
「通常の博打は、掛け金が高ければ高いほど、当たる確率も上がるとか、あるいは胴元が仕込んでいるとか、何かしら工夫の余地がございます。しかし、この『がちゃ』とやらは、いかに銭を積もうと、当たる確率は変わらぬと申します。それでも、人は『次こそは』と、銭を投じ続けるのでございます」
玄蕃は腕を組み、唸った。当たる確率が変わらないのに、銭を投じ続ける。それは、ある種の狂気ではないか。
「それは、まことに恐ろしき仕組みだな。当てにならないものに、ひたすら銭を注ぎ込むとは…まさに泥沼ではないか」
「おっしゃる通りでございます、お代官様。そして、さらに厄介なのは、この『げえむ』は、若い者どもが好む絵姿や、物語の登場人物などに扮することができるものが多く、それらを手に入れるために、必死になって『がちゃ』を回すのだそうでございます」
「なるほど、見目麗しい娘の絵姿や、勇ましい男の姿に惹かれて、銭を投じるか。人の心とは、まこと面白いものよな」
玄蕃は、不敵な笑みを浮かべた。自分たち悪代官が、美しい娘や、立身出世を夢見る若者を手玉に取ってきたのと、何ら変わらないではないか。
「ははあ、お代官様のおっしゃる通りにございます。そして、この『課金』は、親の銭を盗んでまで行う者や、中には借金をしてまで『がちゃ』を回す者もいると聞きます。学問や仕事も手につかず、廃人同然になってしまう者もいるとか…まこと、嘆かわしい世の中にございます」
越後屋は、殊勝な顔で首を振った。だが、その目は、しっかりと玄蕃の反応をうかがっている。
「ふむ、それは見過ごせぬ事態だな。人の生活を破滅させるほどの悪事。これは、わしら悪代官が見過ごすわけにはいかぬぞ」
玄蕃は、徐々に真剣な顔つきになってきた。これは、まさしく自分たちの悪事の領分。いや、自分たちよりも悪辣な連中がいると知って、ある種の義憤すら感じているのかもしれない。
「おっしゃる通りでございます、お代官様。このような輩がのさばるようでは、世の秩序が乱れ、ひいてはわたくしどもの商売にも影響が出かねません」
越後屋は、ここぞとばかりに畳み掛けた。結局は、自分たちの商売に影響が出ることを懸念しているのだ。
「しかし、越後屋。その『げえむ』とやらを開発し、その『課金』という仕組みを考え出した者どもは、さぞかし儲けているのだろうな。まさに、濡れ手に粟とはこのことよ」
玄蕃は、羨ましそうに呟いた。自分たちの悪事も、結局はリスクを伴う。しかし、この『げえむ』とやらは、座して銭を稼げるようなものに聞こえる。
「はい、お代官様。莫大な銭を稼いでいることと存じます。中には、たった一人で巨万の富を築いた者もいるとか…」
越後屋は、羨望と嫉妬が入り混じったような顔で答えた。
「うむむ…それは見過ごせぬな。しかし、越後屋よ。その者どもは、どのような手を使ってその『げえむ』とやらを広めておるのだ。わしらも、その手口を学ぶ必要があるかもしれぬ」
玄蕃は、顎に手をやり、思案顔になった。
「ははあ。お代官様。彼らは、まず『げえむ』そのものを無料で提供いたします。無料でございますから、誰でも気軽に始めることができます。そして、ある程度『げえむ』に慣れて、面白さを知った頃合いを見計らって、『課金』を促すのでございます」
「ほう、無料とはな。太っ腹なことだ。だが、それでは銭にならぬではないか」
「いえ、お代官様。これが彼らの巧妙な手口でございます。無料であるがゆえに、多くの者が『げえむ』を始めます。そして、一度始めた者は、なかなか止められなくなる。止められぬからこそ、『課金』をしてでも続けてしまうのでございます」
越後屋は、まるで悪事を指南する師匠のように、熱弁を振るった。
「なるほど…まず無料で甘い蜜を吸わせ、その後に蟻地獄に引きずり込むというわけか。なかなかに悪辣な手口ではないか」
玄蕃は、感心したように頷いた。
「左様でございます、お代官様。そして、この『課金』は、巧妙にも、ほんのわずかな銭から始めさせます。例えば、数百円程度で、少しばかり有利になる品が手に入るといった具合でございます。その程度の銭であれば、誰もが気軽に手を出してしまう」
「ふむ、確かにその程度であれば、わしとて手を出してしまうかもしれぬ」
玄蕃は、思わず本音を漏らした。
「そして、一度『課金』をしてしまえば、そこで得た僅かな優越感や、達成感によって、さらに深みに嵌まっていくのでございます。さらに良いものが欲しくなり、さらに強い武具が欲しくなり、次々と銭を投じてしまう。気づけば、取り返しのつかぬほどの大金をつぎ込んでしまっているというわけです」
越後屋は、まるで目の前で被害者がいるかのように、生々しく語った。
「うむむ…それは、まこと恐ろしき仕組みだな。人の心の弱みに付け込み、巧妙に銭をむしり取る。これは、わしら悪代官も裸足で逃げ出すほどの悪辣さではないか」
玄蕃は、心底感心したように言った。自分たちの悪事も、確かに人の弱みに付け込むが、ここまで巧妙な仕組みはなかなか思いつかない。
「ははあ、お代官様のおっしゃる通りにございます。そして、この『げえむ』は、常に新しい『がちゃ』や、新しい品を投入し続けます。これにより、ユーザーは常に『まだ足りない』という気持ちにさせられ、永遠に『課金』を止められないように仕向けるのでございます」
「なるほど、これはまさに、わしらが年貢を増やすために、新しい税を課したり、検地をやり直したりするのと、何ら変わらぬではないか」
玄蕃は、膝を叩いた。悪事の根源は、いつの時代も変わらないのだと改めて実感した。
「左様でございます、お代官様。そして、この『げえむ』には、他の者との競争を煽るような仕組みもございます。『あやつはこんなに強いのに、なぜ自分は…』『あの者よりも良いものが欲しい』といった具合に、人の嫉妬心や、見栄を張りたいという気持ちを刺激し、さらに『課金』を促すのでございます」
「ふむ、それはまさに、わしらが村人同士を争わせて、互いに監視させ、密告させたりするのと同じ手口ではないか。人の心とは、まことに浅ましいものよな」
玄蕃は、ため息をついた。人の心の醜さ、愚かさは、いつの時代も変わらない。
「お代官様。さらに恐ろしきことに、この『げえむ』は、そのほとんどが若者や子供たちを標的としております。彼らはまだ、善悪の判断もつかぬうちから、このような悪辣な仕組みに巻き込まれてしまう。親の目を盗んで、あるいは親の銭を盗んでまで『課金』に走る者もいると聞けば、まことに胸が締め付けられる思いでございます」
越後屋は、まるで本当に子供たちの未来を憂いているかのように、声を震わせた。その表情は、普段の銭ゲバな越後屋からは想像もつかないほど、慈悲深いものに見えた。
「越後屋、そのほうもなかなか役者だな。その調子で、わしに取り入るがよい」
玄蕃は、越後屋の芝居を見破った上で、わざとらしく褒め称えた。
「ははあ、お代官様には、わたくしの心の内までお見通しでございますか。まことに恐れ入ります」
越後屋は、照れくさそうに頭を掻いた。
「しかし、玄蕃。そのほうの言う通り、これは見過ごせぬ事態だ。若者や子供を食い物にするとは、許しがたい。我らが悪代官の面子が廃るというものだ」
玄蕃は、眉間に皺を寄せ、真剣な顔つきになった。普段の悪事とは異なる種類の、しかし、より深い悪辣さに対して、静かな怒りを覚えているようだった。
「おっしゃる通りでございます、お代官様。このような悪行を放置しておけば、やがては国をも揺るがしかねません」
越後屋は、さらに玄蕃の感情を煽るように言った。
「うむ。しかし越後屋よ、これほどの悪辣な手口を、なぜ世の奉行所や、お上に当たる者どもは放置しているのだ。まさか、彼らもその甘い汁を吸っているとでもいうのか?」
玄蕃は、疑いの目を越後屋に向けた。自分たち悪代官の常套手段である。
「ははあ、お代官様。それは何とも申し上げにくいことでございますが…」
越後屋は、口ごもった。しかし、その表情は、玄蕃の問いに対する肯定を示しているようだった。
「ふむ…やはりそうか。世の中の仕組みとは、まことに腐っておるものよな。ならば、越後屋。そのほうは、この『げえむ課金トラブル』とやらを、どのように解決すべきだと考える?」
玄蕃は、越後屋に問いかけた。越後屋ならば、きっと何か、銭になる解決策を提示するだろうと期待しているようだった。
「お代官様。わたくしめの浅はかな考えでございますが…」
越後屋は、わざとらしく前置きをしてから、ゆっくりと口を開いた。
「まずは、この『げえむ』を開発し、運営しておる者どもから、銭を巻き上げることが肝要かと存じます」
玄蕃は、ニヤリと笑った。やはり越後屋は、期待を裏切らない。
「ふむ、それは面白い。だが、いかにして巻き上げるのだ?」
「ははあ。彼らが稼いだ莫大な銭を、何らかの口実をつけて没収するのです。例えば、『子供たちを惑わし、銭を巻き上げた罪』であるとか、『世の秩序を乱した罪』であるとか…」
「なるほど、それは悪くない。しかし、それでは根本的な解決にはならぬだろう。また別の者どもが、同じような『げえむ』を作り、銭を巻き上げるかもしれぬ」
玄蕃は、一歩先を読んでいた。
「おっしゃる通りにございます、お代官様。ゆえに、次に考えるべきは、『課金』そのものに規制をかけることでございます」
「規制とな? いかにしてだ」
「はい。例えば、一ヶ月に『課金』できる上限額を定める。あるいは、未成年の『課金』は、親の許可がなければできないようにする、などといった具合でございます」
越後屋は、まるで法を作る役人のように、流暢に説明した。
「うむむ…それは、わしら悪代官の商売にも影響が出かねぬな。銭を巻き上げられなくなるのは困る」
玄蕃は、複雑な顔をした。
「いえ、お代官様。ご安心ください。銭は、形を変えて、わたくしどもの元に転がり込んでくるようにいたします」
越後屋は、不敵な笑みを浮かべた。
「ほう、どういうことだ?」
「ははあ。例えば、『課金』の規制を破った者には、罰金を課すのです。そして、その罰金を、わたくしどもが徴収するという仕組みでございます」
玄蕃は、目を見開いた。
「なるほど! それは面白い。悪事を取り締まるふりをして、さらに銭を巻き上げるというわけか。越後屋、やはりそのほうは、わしにとってかけがえのない存在よ!」
玄蕃は、高笑いした。越後屋もまた、満面の笑みを浮かべた。
「お代官様におかれましては、わたくしのような小物をお褒めいただき、まことに恐悦至極にございます」
越後屋は、深々と頭を下げた。
「しかし、越後屋。それでもまだ、根本的な解決にはならぬかもしれぬぞ。人が『げえむ』に熱中し、自らの身を滅ぼすほど『課金』に走るという、その心の弱み。それを解決せねば、いたちごっこになるだけではないか」
玄蕃は、ふと真面目な顔に戻った。悪代官ではあるが、人の心の弱さを見抜く目は持っている。
「お代官様のおっしゃる通りにございます。人の心の弱みは、まことに根深いものでございます。しかし、わたくしどもがその弱みに付け込むのが、悪代官というものでございましょう?」
越後屋は、にやりと笑った。
「ふむ、確かにそうだな。だが、度が過ぎれば、世の反感を買い、我らの首が危うくなる。そのあたりの匙加減が、まことに難しいところよな」
玄蕃は、腕を組み、唸った。
「左様でございます、お代官様。ゆえに、この『げえむ課金トラブル』とやらも、完全に無くすのではなく、ほどほどのところで留めておくのが、よろしゅうございます」
「ほう、ほどほどとはどういうことだ?」
「ははあ。つまり、銭を失って困窮する者どもが、あまりにも増えすぎぬ程度に、しかし、彼らが『課金』し続ける程度の希望は残しておく、ということでございます」
越後屋は、まるで芸術品を眺めるかのように、うっとりとした顔で語った。
「なるほど、越後屋。そのほうの考えることは、まことに深いな。毒も薬も、匙加減が肝心というわけか」
玄蕃は、満足げに頷いた。
「お代官様のおっしゃる通りにございます。毒が強すぎれば、人は死んでしまいます。しかし、毒がなければ、薬も意味をなしません。この『げえむ課金トラブル』もまた、我々悪代官が、世の表と裏を操るための、格好の道具となりましょう」
越後屋は、深々と頭を下げた。その顔には、いつもの銭ゲバな笑みが戻っている。
「うむ。越後屋、そのほうの才覚、まことに天晴れである。これからも、わしと共に、世の表と裏を操り、思う存分銭を稼ぐがよい。そして、たまには、このような甘い献上も忘れるでないぞ」
玄蕃は、豪快に笑った。越後屋もまた、心から嬉しそうな顔で笑った。
広間には、悪代官と越後屋の笑い声が響き渡り、現代の「ゲーム課金のトラブル」もまた、彼らの悪事の種として、これからも巧妙に利用され続けるであろうことを示唆していた。
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