宵闇が帳を下ろし始めた頃、黒沼玄蕃の屋敷では、いつものように密やかな酒宴が催されていた。上座にはふくよかな体躯を揺らす玄蕃、その向かいには深々と頭を下げた越後屋宗右衛門が座している。今宵の肴は、江戸市中で評判の鰻。香ばしい匂いが座敷に満ち、二人の食欲をそそる。
「越後屋、この鰻、まことに美味よのう。そちの口利きで手に入れたものと聞くが、さすがは越後屋、抜かりがないわ」
玄蕃は満足げに目を細め、酒を一口含む。
「ははあ、お代官様にお気に召していただき、越後屋宗右衛門、これに勝る喜びはございませぬ。これもひとえに、日頃よりお代官様のお引き立てあればこそ。この越後屋、粉骨砕身、お代官様のために尽くしてまいる所存にございます」
越後屋は頭をさらに下げ、にこやかに答える。その顔には、いつものように卑屈な笑みが張り付いている。
「うむ、その意気やよし。して、越後屋。近頃、世間では奇妙な話が持ち上がっているようだが、そちは何か耳にしておるか?」
玄蕃は盃を置き、急に真顔になった。越後屋は玄蕃の表情の変化を敏感に察し、姿勢を正す。
「奇妙な話、でございますか?恐れながら、どのようなことでございましょう?」
「うむ。なんでも、現代という時代には、わしらの知らぬ『サプリメント』なるものが流行しておるとか。それが、どうにも腑に落ちぬ」
玄蕃の言葉に、越後屋は小首を傾げる。
「サプリメント、でございますか?恥ずかしながら、この越後屋、寡聞にして存じ上げませぬ」
「ふむ。と申すのも、先日、わしが現代の書物を読んだところ、そのサプリメントとやらが、現代の人間にとって、まるで麻薬のように蔓延していると記されていたのじゃ。体に必要な栄養を補うもの、と謳いながら、どうもその実態は、われらが知る『打ち出の小槌』のような、万能薬のごとく扱われているらしい」
玄蕃は腕を組み、眉間に深い皺を寄せた。越後屋は、玄蕃の言葉から現代の奇妙な風潮を想像し、顔色を変える。
「ほう…万能薬、でございますか。さすれば、さぞかし高値で取引されていることでしょうな」
越後屋の目は、すっかり金勘定に変わっていた。玄蕃はそんな越後屋の性根を見透かすように、フッと鼻で笑う。
「越後屋、そちは相も変わらず金のことばかりか。しかし、あながち間違いでもないかもしれぬ。そのサプリメントとやらは、現代においては、健康を金で買うがごときものと化しておるようじゃ。それも、次から次へと新しいものが生み出され、人々はそれに飛びつき、しまいには『あれもこれも』と買い漁る始末。まるで、病に取り憑かれた者のように、際限なく求めてしまうらしい」
「際限なく、でございますか…」
越後屋は、自身の商売と重ね合わせるように考え込む。
「うむ。書物にはこうあった。『サプリメントは、人々の不安につけ込み、巧みに販売される』と。現代の人間は、健康に対する漠然とした不安を抱え、それを解消するために、藁にもすがる思いでサプリメントに手を出す。そして、一つ手に入れれば、今度は別の不安が顔を出し、また別のサプリメントを求める。まるで、底なし沼に足を踏み入れたかのようじゃ」
玄蕃の言葉は、まるで現代社会の病巣を言い当てているかのようだった。越後屋は、ごくりと唾を飲み込む。
「それは…まさしく、商売の極意でございますな。人々の不安を煽り、そこに付け入る。この越後屋、これまでも様々な手で、庶民から金を巻き上げてまいりましたが、まさか現代において、そこまで巧妙な手口が横行しているとは…」
越後屋は、感嘆とも呆れともつかない表情で呟いた。
「越後屋、そちは何を感心しておるか。これは感心するような話ではないわ。書物にはさらにこう記されておった。『サプリメントの多くは、科学的根拠に乏しい』と。つまり、効果があるかどうかも定かでないものを、人々は金を惜しまずに買い続けているのじゃ」
「なんと!効果も定かではないものを!それはまさしく、詐欺同然ではございませぬか!」
越後屋は驚きの声を上げた。自身が悪事を働いてきたとはいえ、その規模と巧妙さに驚愕したようだ。
「詐欺同然…うむ、その通りかもしれぬ。しかし、現代の人間は、自らの意思でそれを買い求めておる。なぜならば、そこには『もしかしたら効果があるかもしれない』という、淡い期待があるからじゃ。そして、その期待が、新たなサプリメントへの誘い水となる。まさに、終わりのない泥沼よ」
玄蕃はため息をついた。その顔には、いつもの悪辣な笑みはなく、どこか憂いを帯びた表情が浮かんでいた。
「お代官様、それはまさに、民衆の無知につけ込んだ商法でございますな。しかし、民衆はなぜ、そこまでサプリメントに依存してしまうのでございましょう?病に倒れたのなら医者にかかるのが筋。なぜ、根拠の薄いものに頼ろうとするのか、この越後屋には理解に苦しみます」
越後屋は、自身の理解を超える現代の現象に首を傾げた。
「ふむ、そこがこの問題の根深いところよ、越後屋。書物にはこうも記されておった。『現代の人間は、多忙な日々を送っており、健康に気を配る時間がない』と。また、『食生活が乱れ、栄養が偏りがちである』とも。そうした背景が、サプリメントへの依存を生み出しているというのじゃ」
玄蕃は、現代の生活様式にも目を向けているようだった。
「なるほど…現代の人間は、忙しさゆえに、自らの健康をおろそかにしてしまうと。そして、その不足を補うために、安易な解決策としてサプリメントに手を出す、と申されますか」
「その通りよ、越後屋。さらに言えば、現代の社会は、人々を常に不安に駆り立てる。老後の不安、病気の不安、経済的な不安。そうした不安が募れば募るほど、人々は『健康さえあれば、何とかなる』と考えるようになる。そして、その健康を手に入れるための手っ取り早い方法として、サプリメントに群がるのじゃ」
玄蕃は、現代社会の構造的な問題まで見抜いているかのようだった。越後屋は、玄蕃の言葉に深く頷く。
「まことに恐ろしき世にございますな。我らが江戸の世では、飢えや病は日常茶飯事でございましたが、現代の人間は、満たされているようで、心は常に満たされない。その隙間を、サプリメントが埋める、と…」
「うむ。そして、そのサプリメントの売り手は、さらに巧妙な手口を使う。『若返りたければこれを飲め』『認知症を防ぎたければこれを飲め』…まるで、打ち出の小槌と見紛うばかりの謳い文句を並べ立て、人々を誘惑する。現代の人間は、そうした甘言に踊らされ、自らの意思で金を払い、自らの健康を危険に晒しておるのじゃ」
玄蕃は、怒りとも嘆きともつかない表情で続けた。
「危険に晒す、でございますか?まさか、毒でも入っていると?」
越後屋は、純粋な驚きを隠せない。
「いや、毒というわけではない。しかし、必要のないものを過剰に摂取すれば、体に変調をきたすのは当然のこと。書物には、サプリメントの過剰摂取による健康被害も記されておった。吐き気やめまい、肝機能障害に至るまで…まさしく、医食同源という言葉が忘れ去られた現代の悲劇よ」
「それは…まさしく、悪代官が仕組む罠さながらではございませぬか…」
越後屋は、思わず口を滑らせてしまった。玄蕃はギロリと越後屋を睨みつける。
「越後屋、いま何と申した?」
「は、ははあ!滅相もございませぬ!この越後屋、お代官様を悪代官などと、天地がひっくり返っても申しません!」
越後屋は、慌てて頭を下げ、冷や汗を流す。玄蕃はフンと鼻を鳴らし、再び酒を一口飲む。
「よいか、越後屋。わしらは、たしかに悪事を働く。しかし、それはあくまで、わしら自身の懐を肥やすため。決して、民衆の命や健康を危険に晒すような真似はせぬ。だが、現代のサプリメント商法は、民衆の不安につけ込み、金を巻き上げるだけでなく、その健康までをも蝕む。これでは、わしらよりも悪質ではないか」
玄蕃の言葉には、どこか深い皮肉が込められていた。越後屋は、玄蕃の言葉に反論できず、ただ沈黙するしかなかった。
「越後屋、そちは、このサプリメントなるものに、何か商機を見出すか?」
玄蕃は、不意に越後屋に問いかけた。越後屋は、ハッと顔を上げる。
「商機、でございますか?…ははあ、もしや、お代官様は、このサプリメント商法に参入なされるおつもりで?」
越後屋の目に、再び金色の光が宿る。
「フン。わしはそこまで落ちぶれてはおらぬわ。しかし、越後屋。そちは、この現代のサプリメント依存性から、何か学ぶべきことがあるとは思わぬか?」
玄蕃は、越後屋を試すように問いかけた。越後屋は、玄蕃の真意を測りかね、考え込む。
「学ぶべきこと…でございますか。さすれば、人々の不安を煽り、そこに付け入る巧妙さ、とでも申しますか。あるいは、科学的根拠に乏しいものでも、巧みな宣伝文句で売りつける手腕…」
「越後屋、そちは相変わらず、薄汚い商売のことばかり考えておるな。もっと、本質を見抜けぬか」
玄蕃は、呆れたように首を振る。
「ははあ、この越後屋、不調法で申し訳ございませぬ。なにとぞ、お代官様のお考えをお聞かせ願いたく存じます」
越後屋は、素直に玄蕃に教えを乞うた。
「よいか、越後屋。このサプリメント依存性から学ぶべきは、現代の人間がいかに『心の隙間』を抱えているか、ということじゃ。物質的には豊かになった現代において、人々は精神的な充足を失っておる。だからこそ、怪しげなものにすがり、一時的な安心を得ようとする。これでは、まるで、魂を売るがごとしではないか」
玄蕃の言葉は、悪代官とは思えないほど、深遠なものだった。越後屋は、その言葉に深く感銘を受けた。
「心の隙間…でございますか。まさしく、その通りにございます。我々が悪事を働くのも、結局は金銭欲を満たすため。しかし、現代の人間は、金銭では満たされぬ心の飢えを抱えていると…」
「うむ。そして、その飢えにつけ込むのが、最も悪質な商売よ。越後屋、そちも、金銭欲ばかりにとらわれるのではなく、時には人々の心の隙間を埋めるような、まっとうな商売を考えてみてもよいのではないか?」
玄蕃は、珍しく越後屋に諭すような口調で語りかけた。越後屋は、驚きと戸惑いの表情を浮かべた。
「まっとうな商売、でございますか…この越後屋に、そのような大それたことができましょうか…」
「できぬと決めつけるな、越後屋。そちの商才は、わしがよく知っておる。もしそちが、民衆の心の安寧をもたらすような商いを始めれば、それは真の意味で、世のため人のためになることだろう。まあ、それは欲にまみれたそちには、難しいことかもしれぬがの」
玄蕃は、フッと笑い、再び酒を煽った。越後屋は、玄蕃の言葉に深く考え込む。
「お代官様…」
「さて、越後屋。今宵はこれにてお開きとしよう。しかし、今日の話、そちもよくよく考えてみるがよい。現代の『サプリメント依存性』は、決して他人事ではない。いつの世も、人間の心の隙間を狙う輩はいるものよ。我々も、その隙間につけ込むのではなく、いかにして人々の不安を取り除き、真の豊かさをもたらすかを考えるべきかもしれぬ。まあ、わしは悪代官ゆえ、相変わらず悪事を働くがの」
玄蕃は、そう言って豪快に笑った。越後屋も、どこか吹っ切れたような表情で、玄蕃に深々と頭を下げた。
「ははあ、お代官様のお言葉、肝に銘じまする。この越後屋、お代官様のお考えに少しでも近づけるよう、精進してまいる所存にございます」
越後屋は、心なしか清々しい表情で屋敷を後にした。残された玄蕃は、月を仰ぎ見ながら、再び酒を一口含む。
「サプリメント依存性、か…結局のところ、人間はいつの世も、何かを信じ、何かにすがりたがるものよ。そして、その弱みにつけ込むのが、悪党の常套手段。しかし、真の悪とは、人々の心の健康までをも蝕むもの。わしは、まだまだ甘いのかもしれぬのう…」
玄蕃は、自嘲気味に呟き、残りの酒を飲み干した。遠くで、夜風が寂しげに吹き抜ける音が聞こえた。現代の病巣を垣間見た悪代官の心には、いつもの悪辣な企みとは異なる、一抹の憂いが去来していた。
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