黒沼玄蕃と越後屋宗右衛門、リモートワークを語る
じめじめとした梅雨の盛り、黒沼玄蕃邸の奥座敷には、いつものように黒沼玄蕃と越後屋宗右衛門が向かい合っていた。分厚い帳簿が山と積まれた卓袱台には、冷奴と香の物が控えめに並べられている。玄蕃が扇子でゆるりと風を送りながら、ふと口を開いた。
「越後屋よ、最近耳にする『りもーとわーく』とやら、一体どのような代物か、そのほうは知っておるか?」
越後屋は背筋を伸ばし、にこやかに答えた。
「はい、お代官様。お耳に入れようと存じておりました。なんでも、都で流行り始めている新しい働き方のようでございます。職場の外、自宅や茶屋など、どこからでも仕事ができるという触れ込みでございますな。」
玄蕃は興味深げに眉を上げた。
「ほう、自宅で仕事とな? それはつまり、定時になってから職に赴き、顔を突き合わせてあれこれと仕事を進めるという、我らが長年慣れ親しんだ働き方とは真逆ではないか。一体、そのようなことでまともに仕事が運ぶのか?」
越後屋は心得たりとばかりに頷いた。
「それが、案外そうでもないようでございます。何でも、『オンライン』と申しまして、離れた場所におる者同士が、まるでその場にいるかのように顔を見ながら話せる道具が発達したとか。書状をやり取りせずとも、一瞬にして文書の類も送れるようになったと聞き及びます。これを使えば、いちいち顔を合わせずとも、会議とやらもできるのだとか。」
玄蕃は扇子を閉じ、顎に手をやった。
「ふむ……。遠く離れていても、顔を見ながら話せるとな。それは、かの水晶玉に映し出す術に似ておるな。しかし、実際に顔を突き合わせぬとなると、やはり物足りぬのではないか? 互いの息遣い、視線の交錯、そういったものがなければ、真に腹を割って話すことなどできまい。」
越後屋はにやつきながら言った。
「お代官様の仰せの通りでございます。しかし、この『りもーとわーく』、うまく使えば、我々にとっても利用価値はございましょう。例えば、お代官様がこうしてご自宅でゆったりと過ごされている間も、奉行所の面々はせっせと働くことができます。いちいちお屋敷にお越しいただく手間も省けましょう。」
玄蕃は膝を打ち、目を輝かせた。
「なるほど! それは面白い。つまり、わしはこうして縁側で茶をすすりながら、越後屋と密談を交わすこともできるというわけだな。奉行所では、わしが目を光らせておらぬ間に、まじめに仕事をしているふりをする者もいるやもしれぬ。しかし、この『オンライン』とやらを使えば、離れていながらにして監視もできると?」
越後屋は手を擦り合わせた。
「左様でございます、お代官様。それに、奉行所の者どもも、いちいち役所に出向く手間が省けますゆえ、その分、残業代も抑えられましょう。浮いた経費は、お代官様の懐に……いえ、奉行所の運営費に充てることができましょうな。」
玄蕃は愉快そうに笑った。
「わっはっは! 越後屋、そちは実に抜け目ない。しかし、良いことばかりではないだろう。何か不都合な点もあるのではないか? 例えば、奉行所の者どもが、自宅で怠けてばかりいて、まともに仕事をしなくなるというようなことはないのか?」
越後屋は困ったように眉を下げた。
「そこが、この『りもーとわーく』の難しいところでございます。奉行所の者どもが、自宅で何をしているか、逐一監視することは難しいでしょう。寝ていたり、家族と遊んでいたり、はたまた副業に精を出していたり……。」
玄蕃は顔をしかめた。
「むう、それは困るな。わしがせっかく与えた職務を、自宅で蔑ろにするとは言語道断。何か策はないのか?」
越後屋は考え込むふりをしてから、そっと耳打ちした。
「お代官様、ご安心ください。そこは越後屋にお任せくださいませ。例えば、定期的に『オンライン』で顔を見せさせ、進捗を報告させる。あるいは、仕事の合間に『抜き打ち』で『オンライン』で呼び出し、その場で仕事をさせるといった手もございます。さらには、『作業時間管理』と申しまして、仕事に費やした時間を細かく記録させる道具もあるようでございます。」
玄蕃は満足げに頷いた。
「うむ、その手があったか。しかし、それだけではまだ甘い。わしが一番危惧するのは、奉行所の者どもが、自宅にいてはついつい気が緩み、同僚との横の繋がりが希薄になることだ。そうなると、秘密の抜け荷や、賄賂の授受など、悪事の相談がしにくくなるのではないか?」
越後屋は顔色を変えた。
「お代官様、それは一大事でございます! 同僚との連携が取れぬとなると、奉行所の統制も乱れましょう。そうなれば、我々がこれまで築き上げてきた『悪の組織』の基盤が揺らぎかねません。」
玄蕃は腕を組み、唸った。
「うむ。かといって、この『りもーとわーく』を全面的に禁止するのも惜しい。経費削減や、わしが楽をするためにも、有効活用したいところだ。越後屋、何か名案はないものか?」
越後屋はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「お代官様、このような策はいかがでございましょうか。普段は『りもーとわーく』を奨励し、各自が自宅で仕事を進める。しかし、週に一度、あるいは月に一度は、必ず奉行所に『出社』させ、顔を合わせる機会を設けるのでございます。その際には、大々的に酒宴を催し、日頃の労をねぎらうとともに、水面下で様々な『密談』を交わす場とするのです。」
玄蕃は目を見開いた。
「おお! それは名案だ、越後屋! 普段は自由を謳歌させ、いざという時には全員を集合させる。そして、酒の勢いを借りて、日頃の鬱憤を晴らしつつ、さらなる悪事を企む場とすれば、これほど都合の良いことはない。奉行所の者どもも、普段の自由があるゆえに、この酒宴の場を心待ちにするであろうし、我々への忠誠心も高まるというものだ。」
越後屋は深く頭を下げた。
「お代官様にご満足いただけたようで、何よりでございます。それに、このような『出社日』を設けることで、普段は『りもーとわーく』で経費を削減しつつ、いざという時のための『交際費』を捻出することも可能になりましょう。」
玄蕃は高らかに笑った。
「わっはっは! 越後屋、そちはやはりただ者ではないな! その『りもーとわーく』とやら、うまく使えば、我らの悪事もさらに盤石なものになるやもしれぬ。しかし、くれぐれも、奉行所の者どもがわしらの悪事を世間に漏らすようなことがあってはならぬぞ。そのあたりも、抜かりなく手を打っておくのだ。」
越後屋は深々と頭を下げた。
「お代官様、ご安心くださいませ。そのあたりは、越後屋が手配いたします。『秘密保持契約』とやらを結ばせ、口外すれば厳罰に処す旨、徹底的に言い聞かせましょう。また、定期的に『情報漏洩対策』の研修とやらも行い、決して外に漏れることのないよう、徹底いたします。」
玄蕃は満足げに頷き、冷奴を口に運んだ。
「うむ、よし。では、早速この『りもーとわーく』とやらを、奉行所に導入する手筈を整えよ。越後屋、そちの腕の見せ所だぞ。」
越後屋はにこやかに答えた。
「かしこまりました、お代官様。さっそく準備に取り掛からせていただきます。ところで、お代官様。この『りもーとわーく』の導入に際し、奉行所の者どもが使う『オンライン』の道具や、その他諸々を越後屋の店で一手に引き受けさせていただければ、これ幸いでございますが……。」
玄蕃はニヤリと笑い、越後屋の目を見据えた。
「越後屋、そちはやはり抜け目がないな。よいだろう。ただし、足元を見るような真似は許さぬぞ。わしにも相応の見返りがあるように計らえ。」
越後屋は満面の笑みを浮かべた。
「とんでもないことでございます、お代官様! もちろんでございますとも。お代官様には、ご満足いただけるよう、最大限の努力をさせていただきます。それでは、手筈が整い次第、改めてご報告に上がらせていただきます。」
越後屋は深々と頭を下げ、座敷を後にした。残された玄蕃は、冷奴をちびちびと食べながら、薄暗い座敷の奥で一人、不気味な笑みを浮かべていた。リモートワークという新たな働き方が、悪代官と悪徳商人の腹黒い企みに、新たな彩りを与えようとしていた。
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