悪代官と越後屋が斬る! 現代の残クレ、その甘き罠
ジメジメとした梅雨の晴れ間、城下の喧騒から離れた黒沼玄蕃の屋敷では、しっとりと濡れた庭石が鈍い光を放っていた。玄蕃は上座にどっしりと胡坐をかき、その傍らには越後屋宗右衛門が恭しく控えている。盆に載せられた高級な菓子には目もくれず、二人の視線は、玄蕃の傍らに広げられた奇妙な図面…「車の残価設定型クレジトッ」と書かれた現代の車のカタログに注がれていた。
「越後屋よ、これは一体、どのような仕組みだと申すのだ?」
黒沼玄蕃の低い声が静寂を破った。玄蕃の太い指が、カタログの「残価設定」の文字をなぞる。その目には、いつもの悪巧みを巡らす光が宿っている。
「お代官様、これは現代の商人が考え出した、まことに巧妙な仕組みにございます。名を『残価設定型クレジット』、通称『残クレ』と申します。」
越後屋宗右衛門は、すらすらと淀みなく答えた。その顔には、悪代官に取り入るいつもの卑屈な笑みが浮かんでいる。
「ふむ、残クレとな。申してみよ、一体どういうことだ?」
「はっ。まず、新しき車を欲する者がおりますと、その車の代金のすべてを支払うのではなく、数年後の価値、すなわち『残価』をあらかじめ設定するのです。例えば、三百万円の車であれば、三年後に百五十万円の価値があるとして、その百五十万円は据え置き、残りの百五十万円分だけを毎月分割で支払うのでございます。」
越後屋の説明に、玄蕃の眉間に皺が寄る。
「ほう。つまり、最初から全額払わずともよいと申すのか。それは、一見すると民にはありがたい話のように聞こえるが…」
玄蕃は鋭い眼光で越後屋を見据えた。
「さよう、お代官様。まさにそこが肝にございます。民は、少ない月々の支払いで新車に乗れると喜び、次から次へと新しい車に乗り換える。これが現代の民にとっての『打ち出の小槌』に見えるのでございます。」
越後屋はにやにやと笑いながら付け加えた。その笑みには、獲物を見つけた蛇のような粘着質さがにじみ出ている。
「しかし、三年の月日が流れれば、この据え置かれた百五十万円をどうするのだ? まさか、ただにするわけではあるまい?」
「お代官様、さすがでございます。鋭いお見立てにございます。」
越後屋は深々と頭を下げた。
「三年後には、三つの選択肢が提示されます。一つは、この百五十万円をまとめて支払うか、再びローンを組み直して支払いを続けるか。二つ目は、その車を返却し、新たな車に乗り換えるか。そして三つ目は、買い取りを諦め、車を返却し、手元に何も残さないか、でございます。」
玄蕃は腕を組み、唸った。
「つまり、買い取りという名の『残価』を餌に、民を永遠に支払い続けさせる仕組み、と申すわけか。」
「まさにその通りにございます、お代官様! まことに巧妙な仕掛けにございます。民は、『今すぐ新車に乗れる』という甘言に釣られ、将来の負担を深く考えぬまま契約を結んでしまう。そして数年後には、再び新たな車へと乗り換えることを促される。まるで、殿様が年貢を吸い上げるがごとく、現代の商人は民から金を吸い上げ続けるのでございます。」
越後屋の言葉に、玄蕃の顔に満足げな笑みが浮かんだ。
「つまり、この残クレという仕組みは、民が常に新しい物を追い求める性(さが)と、目先の利益に飛びつく愚かさを利用した、現代版の悪徳商法とでも言うべきか。」
「その通りにございます。民は常に新しいものに目がなく、流行に流されやすい。そして、少々無理をしてでも、見栄を張りたいという者が後を絶ちません。この残クレは、そうした民の弱い心につけ込んだ、まことに理にかなった商売と言えましょう。」
越後屋はさらに身を乗り出した。
「そしてお代官様、この残クレには、さらに巧妙な罠が仕掛けられております。それは、車の状態によって残価が変動するという点でございます。」
「ふむ、どういうことだ?」
「例えば、車に傷をつけたり、走行距離が規定を超えたりすれば、据え置きとされた残価の価値は下がると申します。そうなれば、民は車を返却する際に、さらに追加で費用を支払わねばならぬことになります。まるで、年貢の取り立ての際に、少々の傷があればさらに米を要求するがごとく、でございますな。」
玄蕃は膝を叩いた。
「なるほど! つまり、民は車を大切に使うよう強いられる上に、もしも傷をつけたり、多く乗り回したりすれば、さらなる搾取の対象となるわけか。これは見事な仕掛けよ!」
玄蕃は満足げにうなずいた。その目には、越後屋を褒め称える色が宿っている。
「しかも、その『残価』というのは、あくまで販売店の言い値。買い取りに出す際に、もしも市場価値が残価を下回っていれば、民は損をすることになる。それこそ、我々が米の相場を偽り、民から安値で買い叩くのと同じ構図ではないか。」
「お代官様、まさにおっしゃる通りでございます。民は常に、商人の手のひらの上で踊らされているに過ぎません。」
越後屋は玄蕃の言葉に深く同意した。
「それに、この残クレとやら、最終的にその車を自分のものにするには、据え置かれた残価を支払わねばならぬ。まるで、我が屋敷の使用人が、長年勤め上げた褒美として、使い古した履物を高値で買い取らされるようなもの。民は、結局は支払い続けても、最終的に車を自分のものにするためには、二度手間を払わされるわけだな。」
「その通りでございます。しかも、一度残クレの甘き汁を吸ってしまえば、次から次へと新しい車に乗り換えねばならぬような錯覚に陥る。車を所有する喜びよりも、常に支払いに追われる虚しさが残ることに、民はなかなか気づかぬものでございます。」
越後屋は得意げに胸を張った。
「そのほうの言い分を聞くにつけ、この残クレとやらは、我々悪代官と悪徳商人のやることと寸分違わぬではないか。目先の甘い話で民を誘い込み、気づけばがんじがらめに縛り上げる。そして、永遠に金を吸い上げ続ける…まことに、現代にまで通じる我らの悪知恵よ!」
玄蕃は豪快に笑った。その笑い声が、屋敷の静けさを震わせる。
「お代官様、まことに恐悦至極にございます。我ら悪徳商人が、時代を超えてもなお、民の無知と欲につけ込む術は、変わらぬものにございますな。」
越後屋もまた、満面の笑みを浮かべて頭を下げた。
「しかし越後屋よ、これほど巧妙な手口を、なぜ民は疑わぬのだ? 我々が年貢を吊り上げれば、民はすぐに文句を垂れるではないか。」
玄蕃はふと疑問を口にした。
「お代官様、それは民の求めるものが変わったからにございましょう。昔は、飢えぬこと、病に倒れぬこと、そして身を安んじる住まいがあることが、民の望みにございました。しかし、現代の民は、より豊かな暮らし、より便利な生活を求めます。そして、周りの者と同じように、いや、それ以上に良いものを持ちたいという『見栄』が、彼らを突き動かすのでございます。」
越後屋は静かに答えた。その言葉には、人間心理の奥底を見透かすような冷徹さが宿っている。
「つまり、我々が『生きるための欲』につけ込んだのに対し、現代の商人は『見栄や便利さという欲』につけ込んでいる、と申すわけか。」
「はっ。そして、その『見栄』を満たすためには、多少の無理も厭わぬと考える者が増えたのでございます。毎月の支払いが少なければ、その負担は軽く感じられ、新しい車に乗れるという喜びが勝る。その先の、据え置かれた巨額の残価や、追加費用の可能性など、深く考える者は少ないのでございます。」
越後屋は続けた。
「それに、この残クレという仕組みは、車の買い替えを促す上でもまことに有効でございます。民は、三年後に再び新しい車に乗り換えられると聞けば、今の車を大事に使うよりも、次に乗りたい車に思いを馳せてしまう。まるで、春の訪れとともに新しい着物を誂えるがごとく、次から次へと新しい車を買い続けるのでございます。」
玄蕃は深く頷いた。その目には、この現代の仕組みを自分のものにしたいという、新たな悪だくみの炎が灯っていた。
「越後屋よ、この残クレとやら、我らの悪事にも応用できそうではないか。例えば、城下町に新しき屋敷を建てさせ、その代金の一部だけを支払わせ、残りは三年後にまとめて支払わせる。そして三年後には、また新たな屋敷を建てさせる…これは、永久に民から金を吸い上げる『悪代官版残クレ』が作れるやもしれぬ!」
玄蕃の瞳がギラリと光った。越後屋はニヤリと笑い、深々と頭を下げた。
「お代官様、まことに恐ろしいお考えでございます。しかし、まことに妙案。現代の商人の手口は、我ら悪代官にとって、まさに『教科書』にございますな。」
二人の悪党の間に、どこか満ち足りたような、不気味な笑い声が響き渡った。庭の木々から滴り落ちる雫が、梅雨の終わりを告げるかのように、静かに地面を濡らしていた。現代の車の残クレという仕組みは、時を超えても変わらぬ人間の欲と愚かさを、改めて悪代官と越後屋に突きつけるのであった。
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