悪代官と越後屋の世直し談義「トモダチ作戦」

梅雨明け間近の蒸し暑い夕餉時、黒沼玄蕃の屋敷では、いつものように越後屋宗右衛門が酌をしていた。しかし今宵は、いつもの悪だくみの密談とは趣が異なる。卓上には書物と地図が広げられ、二人の表情はどこか真剣な面持ちだった。

「越後屋、そちもなかなか物好きよのう。このような堅苦しい話に付き合わされるとは」

玄蕃がにやりと笑い、宗右衛門に酒を勧める。

「滅相もございません、お代官様。お代官様の世を憂うるお気持ち、この宗右衛門、痛いほどに理解しておりますれば」

宗右衛門は深々と頭を下げ、銚子から丁寧に酒を注いだ。その口から出たのはいつものへつらいの言葉だが、その眼差しは、書物に書かれた見慣れない文字、「トモダチ作戦」に釘付けになっていた。

「して、越後屋。そちはこの『トモダチ作戦』とやらについて、いかが思う?」

玄蕃は盃を傾けながら、宗右衛門に問いかけた。宗右衛門は居住まいを正し、少し考えてから口を開いた。

「お代官様、正直申しまして、わたくしのような町人には、あまりにも壮大すぎる話でございます。しかし、書物に書かれておりまするは、異国の者が未曾有の大災に見舞われた我が国へ、手を差し伸べたというではありませんか。これほどまでに尊い行いはございませぬ」

宗右衛門の声には、いつもの私利私欲にまみれた響きはなく、どこか畏敬の念が込められていた。玄蕃は満足げに頷いた。

「うむ、その通り。東日本大震災…あの未曽有の災厄において、遠く離れた異国の者たちが、損得勘定抜きに助けの手を差し伸べた。それがこのトモダチ作戦と称されるものよ」

玄蕃は指で卓上の地図をなぞる。そこには東北地方の沿岸部が記され、無数の印が打たれていた。

「異国の軍が、我が国の被災地へ物資を運び、捜索活動を行い、そして何よりも、被災した民の心に寄り添った。言葉も通じぬ、文化も異なる者たちが、まるで家族のように寄り添ったと聞く。これはまさに、世の常識を覆す出来事であった」

玄蕃の言葉には、いつもの悪代官の面影はなく、まるで歴史を紐解く学者のような熱意がこもっていた。宗右衛門は静かに耳を傾けていたが、やがて一つ疑問を投げかけた。

「お代官様、まことに畏れながら、わたくしのような浅学非才の身には、理解しがたい点が一つございます。異国とはいえ、彼らもまた自国の益を考えるのが常。なぜこれほどまでに、無償の奉仕を為し得たのでございましょうか?」

宗右衛門の問いは、彼が普段から金儲けに精を出す商人ならではの視点だった。玄蕃はふっと笑い、宗右右衛門の疑問を見抜いたように答えた。

「越後屋、そちの申すことはもっともよ。だがな、世の中には金や権力だけでは測れぬものがある。このトモダチ作戦の根底には、まさしく『人道支援』という、尊い理念があったのだ」

玄蕃は語る。あの震災は、かつて経験したことのない規模の災害であり、日本国内の救援体制だけでは到底追いつかない状況だったこと。そんな中、真っ先に手を差し伸べたのが、アメリカ軍を中心とした国際社会だったこと。

「彼らは、被災地の状況を衛星で把握し、いち早く救援物資を空輸した。通常の輸送ルートが寸断された中、海路や空路を駆使し、まさに命懸けで物資を届けたのだ。食料、水、毛布、医療品…それら一つ一つが、被災した民の命を繋いだ」

玄蕃の言葉に、宗右衛門は深く頷いた。彼もまた、商売で各地を巡る中で、物資が届かないことの恐ろしさを知っていたからだ。

「そして、それだけではない」

玄蕃は声を潜め、さらに続けた。

「彼らは、泥だらけになりながら、がれきの下敷きになった人々を捜索し、救い出した。家族を失い、家を失い、途方に暮れる人々に寄り添い、希望を与えた。言葉は通じずとも、彼らの行動は、まさしく心の交流であったのだ」

宗右衛門は、その光景を想像し、思わず目頭を押さえた。彼もまた、震災の報を聞き、その惨状に心を痛めていた一人だった。

「お代官様、それは…それはまさに、神仏の行いにございますな」

「神仏…そうかもしれぬな。だが、わしが思うに、これは人間が人間として、為すべき当然の行いなのであろう」

玄蕃は盃を置き、宗右衛門の目を見据えた。

「越後屋、わしはな、このトモダチ作戦から、一つの世直しの光を見たのだ」

宗右衛門は驚き、玄蕃の言葉の続きを促した。

「それは、『真の友誼』の重要性よ」

玄蕃は続ける。

「これまで、国と国との関係は、利害や権力争いが中心であった。だが、このトモダチ作戦は、それらの矮小な価値観を超え、人類共通の**『助け合い』**という精神を世界に示したのだ」

宗右衛門は、玄蕃の言葉に深く考え込んだ。彼はこれまで、人との繋がりを、いかに己の商売に利用するかという視点でしか見てこなかった。しかし、玄蕃の言葉は、その彼の凝り固まった価値観を揺さぶるものだった。

「お代官様のおっしゃる『真の友誼』とは、具体的にどのようなものを指すのでございましょうか?」

宗右衛門は尋ねた。

「うむ。それは、困っている者がいれば、見返りを求めずに手を差し伸べること。相手の苦しみに寄り添い、共に困難を乗り越えようとすること。そして、互いの文化や価値観を尊重し、理解しようと努めることだ」

玄蕃は、真剣な眼差しで語る。

「このトモダチ作戦は、日米同盟という、これまで軍事的な側面が強調されがちだった関係に、『人道』という新たな側面を加えた。これにより、両国の関係はより深く、より強固なものとなったのだ」

宗右衛門は、なるほどと頷いた。確かに、災害時に命がけで助けてくれた相手に対し、不信感を抱く者はいないだろう。むしろ、感謝と信頼の念が生まれるはずだ。

「しかし、お代官様。世の中には、利己的な者、欲深い者がはびこっておりまする。そのような者たちを相手に、『真の友誼』を説くことは、絵空事ではございませぬか?」

宗右衛門は、いつもの現実的な視点に戻り、玄蕃に問いかけた。玄蕃はニヤリと笑い、再び酒を一口含んだ。

「越後屋、そちの言うことはもっともよ。だがな、わしは何も、全ての者が聖人君子になれと申しているわけではない。肝要なのは、為政者が、そして影響力を持つ者が、率先してこの『真の友誼』の精神を示すことよ」

玄蕃は、自らの身を指差しながら続けた。

「わしのような悪代官でも、いや、悪代官だからこそ、この精神の重要性を理解せねばならぬ。私腹を肥やすことは許されぬが、その過程で、民の苦しみに目を向け、手を差し伸べる機会があれば、それを行動に移すことよ」

宗右衛門は、玄蕃の言葉に驚きを隠せない。まさか、悪代官の玄蕃が、そのような高尚な思想を抱いているとは。

「お代官様…」

「越後屋、そちも同じよ。そちの商いは、金儲けが目的であろう。だが、その金儲けの先に、困っている者への助け、世の中の発展があるならば、それこそが真の商人道であろう」

玄蕃の言葉は、宗右衛門の胸に深く突き刺さった。彼はこれまで、ただひたすらに私腹を肥やすことだけを考えていた。しかし、玄蕃の言葉を聞き、自分の商いのあり方を見つめ直すきっかけを得た。

「考えてみよ、越後屋。このトモダチ作戦によって、どれほどの者が救われ、どれほどの希望が生まれたか。そして、それが世界に与えた影響は、計り知れぬものがある。これこそが、真の世直しではないか?」

玄蕃は熱弁を振るう。

「力で押さえつけるのではなく、金で釣るのではなく、心と心を通わせる。これこそが、今後、我が国が、そして世界が目指すべき道であろう。この精神を広めることこそが、わしが考える世直しよ」

宗右衛門は、これまで見たことのない玄蕃の姿に、ただただ圧倒されていた。彼は、悪代官という仮面の下に、これほどまでに深い思慮を秘めていたのかと、感嘆せずにはいられなかった。

「お代官様のお言葉、この宗右衛門、しかと心に刻みつけました。まことに恐れながら、これからは、わたくしも、お代官様の世直しのお手伝いをさせて頂きたく存じます」

宗右衛門は、深々と頭を下げた。いつものへつらいの言葉とは違い、そこには真摯な響きがあった。玄蕃は満足げに頷き、酒を注ぎ足すよう促した。

「うむ、その意気やよし、越後屋。世直しは一日してならず。だが、我らが小さき一歩を踏み出すことで、やがて大きな波となるであろう」

二人は再び盃を交わした。窓の外では、夏の虫の声が響き渡り、夜空には満月が輝いていた。悪代官と悪徳商人、その二人が語らう世直しの話は、まだ始まったばかりであった。

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