悪代官と越後屋の人生タメになる話し「暴走族」

薄暗い帳場に、油の匂いがこびりつく。磨き込まれた黒光りの帳簿が積み上げられた向こうで、黒沼玄蕃が悪徳の笑みを浮かべていた。向かいに座る越後屋宗右衛門は、深々と頭を下げ、卑屈な笑みを貼り付けている。いつものように甘い密談が始まるかと思いきや、今日の話題は意外なものだった。

「越後屋、そちも見たか? 先日、城下を騒がせたはみ出し者どもを」

玄蕃が口を開くと、越後屋は心得たりとばかりに頷いた。

「はっ、お代官様。あれはまた、ひどく荒れたものでございましたな。若者が徒党を組み、夜な夜な騒ぎ立てる。市井の者どもも大層迷惑しておりました。」

玄蕃はフンと鼻を鳴らした。

「迷惑、迷惑と申すが、そちも若い頃は似たようなことをしておったのではないか? わしもな、若い頃は血気盛んで、随分と無茶をしたものよ。」

越後屋は目を丸くした。まさかお代官様からそのような言葉が出るとは思わなかったのだろう。

「とんでもございません、お代官様。わたくしなど、若い頃より商売一筋。堅実に生きてまいりました。」

「ほほう、しらばっくれるな。そちの若かりし頃の悪行の噂など、この玄蕃の耳にも届いておるわ。まあ、良い。今日のところはそれには触れぬでおこう。」

玄蕃はにやりと笑い、本題に入った。

「あの暴れ者どもを見て、そちは何を思う?」

越後屋は少し考え込む素振りを見せ、やおら口を開いた。

「はっ。わたくしめが思うに、彼らはまるで、煮えたぎる鍋のようでございますな。蓋をされてはあふれ、押さえつければ押さえつけるほど、熱を帯びてしまう。」

玄蕃は興味深そうに眉を上げた。

「ほう。なるほど、面白い例えだ。では、その熱をどうすれば良いと申すのだ?」

「それが、まことに難しいところでございまして……。一概には言えませぬが、彼らの抱える熱、つまりは有り余る力と、どこにもぶつけようのない鬱憤。これを、いかにして別の方向へ向けるか、そこが肝要かと。」

越後屋はそこで言葉を区切った。玄蕃は腕を組み、深く頷いている。

「うむ、その通りだ。ただ力で押さえつけるだけでは、彼らはさらに反発し、より過激な行動に走るだろう。かつて、わしも多くの愚かな若者を見てきたが、そのほとんどが力でねじ伏せられ、結局は道を誤った。いや、道を踏み外したのではなく、道を閉ざされたと言っても良いかもしれんな。」

玄蕃は遠い目をして語った。その表情には、普段の悪辣さとは異なる、どこか憂いを帯びた色が見え隠れする。

「お代官様、それはまさしく至言でございます。彼らにとって、自分たちの存在を認めてくれる場所、力を試せる舞台が何よりも必要なのかもしれません。たとえば、わたくしども越後屋では、若手の番頭衆に新商品の開発を任せたり、新しい取引先の開拓を命じたりすることがございます。もちろん、失敗することもありますが、それでも彼らは一所懸命に励み、成果を出した時には、まるで水を得た魚のように生き生きといたします。」

「ふむ、商売においても同じことか。人間とは、承認欲求の塊のようなものだ。特に若い頃はな。誰かに認められたい、自分には価値があると感じたい。それが満たされない時、彼らは暴走という形で、その不満を吐き出すのかもしれぬ。」

玄蕃は指で机をトントンと叩いた。

「では、あの暴走族とやらも、本当は認められたいと願っておるのだろうか? しかし、そのやり方があまりにも愚かすぎる。市井の人々を恐怖に陥れ、社会に迷惑をかける。そのような行いが、誰に認められるというのだ?」

越後屋は深々と頭を下げた。

「おっしゃる通りでございます、お代官様。彼らの行為は決して許されるものではございません。しかしながら、彼らの心の奥底には、もしかしたら純粋な、それでいて不器用な承認欲求が潜んでいるのかもしれません。まるで、真っ直ぐに育つべき木が、日当たりを求めてあらぬ方向へと枝を伸ばしてしまうように。」

「なるほど、不器用な承認欲求か。しかし、その不器用さゆえに、多くの人間を傷つけ、自分自身も傷つく。それでは本末転倒ではないか。」

玄蕃は顔をしかめた。

「まさにその通りでございます。彼らに必要なのは、正しい方向へ導く羅針盤でございましょう。彼らのエネルギーを、破壊ではなく創造へと向かわせる。そのためには、彼らの心に寄り添い、彼らの声に耳を傾ける者がいなければなりません。」

越後屋の言葉に、玄蕃はしばらく沈黙した。

「そちの言うことは分かる。しかし、この世の中、そんなに都合の良い羅針盤など、どこにもありはしない。人々は皆、自分のことで手一杯。他人の子供の世話など焼いていられぬのが実情だろう。」

「お代官様、それは一面の真実でございましょう。しかし、だからこそ、我々のような者が動くべきではないかと存じます。世間では悪名高きお代官様と、私腹を肥やす越後屋。ですが、我々にもできることはあるはずでございます。」

越後屋の言葉に、玄蕃は怪訝な顔をした。

「そち、何を言い出すのだ? 暴走族の面倒でも見ろと申すのか? 馬鹿なことを。わしは悪代官だぞ。そんな柄にもないことはできぬ。」

「とんでもございません、お代官様。何も直接手を下す必要はございません。例えば、彼らが力を発揮できる場を、間接的に提供することはできないでしょうか。例えば、祭りの準備の手伝いや、荒れた土地の開墾など、彼らの有り余るエネルギーを建設的な方向へ向かわせるような機会を設けるのです。」

玄蕃は顎に手を当てた。

「うむ……。確かに、そういった考え方もあるかもしれんな。しかし、彼らが素直にそれに応じるとは思えぬが?」

「それこそが、我々のような悪党の腕の見せ所かと存じます。お代官様の威光と、わたくしめの商才をもってすれば、不可能ではございません。もちろん、見返りは求めずとはいきませぬが、そこは上手く立ち回れば、彼らを良い方向へ導きつつ、我々も潤う道を見つけ出せるやもしれません。」

越後屋はいつもの如く、ちゃっかりと私腹を肥やす算段をつけた。しかし、その根底には、若者の行く末を憂う、わずかながらも良心が見え隠れする。

「ほう。そちも随分と欲深いことだ。しかし、その欲深さが、時に世のため人のためになることもある。皮肉なものよな。」

玄蕃は薄く笑った。

「では、試しにやってみるか。だが、失敗すれば、そちの首が飛ぶぞ。覚悟しておけ。」

「はっ! 光栄の至りでございます、お代官様!」

越後屋は深々と頭を下げた。

「しかし、玄蕃。彼らにとって本当に必要なものは、ただの場所や機会だけではないだろう。彼らが抱える心の闇、それは一体何なのだろうな。」

玄蕃はふと真顔に戻った。

「それは、おそらく、彼らが信じられるものが何もない、ということなのではないでしょうか。親も、学校も、社会も、何もかも信じられず、孤独の中にいる。だからこそ、同じような境遇の者と徒党を組み、自分たちの存在意義を叫びたいと願う。それが、あの暴走という形となって表れているのではと。」

越後屋の言葉に、玄蕃は目を閉じた。

「信じられるものが何もない、か……。確かに、この世の中、大人とて信じられるものが少ない。ましてや、未熟な若者であれば、その不安は計り知れぬだろう。彼らは、ただ、誰かに自分を受け入れてほしいと、心の底で願っているのかもしれないな。」

玄蕃の言葉は、普段の悪代官からは想像もつかないほど、深く、そして温かみがあった。

「お代官様……。」

越後屋は、玄蕃の意外な一面に、少し驚いた表情を見せた。

「越後屋、そちもな、若い頃は随分とやんちゃだったらしいではないか。そちが今、こうして商売で成功しているのは、誰かがそちの不器用な熱意を受け止め、正しい方向へ導いてくれたからではないのか?」

玄蕃の言葉に、越後屋ははっとした。

「はっ! お代官様のおっしゃる通りでございます。わたくしめにも、若い頃、荒れていた時期がございました。その時、ある恩人との出会いがあり、その方の導きがなければ、今のわたくしめはございませんでした。」

越後屋は、珍しく素直な感情を露わにした。

「そうだろう。人間とは、一人では生きていけぬものだ。どんなに悪辣な人間でも、心の中には光を求める気持ちがある。あの暴走族とやらも、きっとそうだ。彼らが光を見つけられるよう、我々のような悪党が、少しばかりの道しるべを示してやるのも、悪くはないかもしれぬな。」

玄蕃は静かに語った。その顔には、悪代官としての狡猾さとは異なる、人生の深みを悟ったような表情が浮かんでいる。

「お代官様……。わたくしめ、身震いするほどの感動を覚えております。」

越後屋は、心からそう感じているようだった。

「越後屋、そちの言う「羅針盤」とは、結局のところ、彼らを信じ、導いてくれる「人間」のことなのだ。そして、その人間は、完璧である必要はない。むしろ、多くの失敗を経験し、人としての弱さを知っている者の方が、彼らの心に響くのかもしれぬな。」

玄蕃は、自分自身の過去を振り返るかのように、静かに目を閉じた。

「お代官様、まさにその通りでございます。彼らに必要なのは、説教をする大人ではなく、共に悩み、共に汗を流してくれる、等身大の大人なのかもしれません。」

越後屋の言葉に、玄蕃はゆっくりと目を開けた。

「ふむ、等身大の大人か……。我々のような悪党が、等身大の大人を演じるのも、なかなか骨が折れるな。しかし、これも世のため、人のため。そして、巡り巡って、我々のためになれば、それで良い。」

玄蕃はにやりと、いつもの悪代官の笑みを浮かべた。しかし、その目には、確かに、深い人間味が宿っていた。

「越後屋、準備は良いか? 悪党による、若者救済計画の始まりだ。」

「はっ! お代官様のお導きのままに!」

越後屋は深々と頭を下げた。帳場の薄暗い光が、二人の悪党の影を長く伸ばす。しかし、その影の奥には、確かに、若者の未来を憂う、二人の男の姿があった。

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