悪代官と越後屋の密談「アパート投資」

降りしきる梅雨の雨が江戸の町を洗い流す、とある夜。黒沼玄蕃の屋敷では、障子の向こうで提灯の明かりが揺れていた。主である悪代官・黒沼玄蕃は、上座にふんぞり返り、不敵な笑みを浮かべていた。その向かいには、いかにも人の良さそうな顔をしながらも、目の奥に鋭い光を宿す越後屋宗右衛門が、深々と頭を下げて座している。

「越後屋、今宵もようこそ参られた」

玄蕃の声には、獲物を前にした獣のような響きがあった。宗右衛門は、おずおずと顔を上げた。

「お代官様には、ご機嫌麗しく」

「うむ。して、そち、例の件は手はずが整ったのであろうな?」

玄蕃の言葉に、宗右衛門はにやりと口元を緩めた。

「へえ、もちろんでございます、お代官様。この越後屋め、お代官様のためならば、いかなる苦労もいとわず。おかげさまで、抜かりなく」

宗右衛門は、懐から一枚の絵図面を取り出し、玄蕃の前に広げた。そこには、真新しい長屋のような建物がいくつも描かれている。

「これは…?」

玄蕃は興味深げに絵図面を覗き込んだ。

「へえ、お代官様。これは『アパート』と申しまして、貸し部屋をいくつも集めた建物でございます」

宗右衛門は、得意げに説明を始めた。

「昨今、江戸には地方から職を求めて上京してくる者が後を絶ちません。しかし、住む場所には皆、困っております。長屋はございますが、どれも古びており、家賃も馬鹿になりません。そこで、この越後屋めが考え付きましたのが、このアパートでございます」

玄蕃は腕を組み、ふむ、と唸った。

「なるほど。つまり、そのアパートとやらを建てて、部屋を貸し出すと申すか」

「まさにその通りでございます。しかも、長屋よりも小奇麗で、家賃も手頃にすれば、借り手はいくらでも見つかりましょう。一度建ててしまえば、後は毎月、座して銭を稼ぐことができるのでございます」

宗右衛門の言葉には、あからさまな興奮が滲み出ていた。玄蕃の目も、銭の匂いを嗅ぎつけた鷹のように鋭くなった。

「しかし、そのためには、相応の銭がかかるのではないか? 場所の確保も容易ではあるまい」

玄蕃の問いに、宗右衛門はにやりと笑った。

「へえ、そこはご心配なく、お代官様。この越後屋めには、とっておきの算段がございます。まず、土地でございますが、先日、火事に見舞われたあの広大な空き地がございましたでしょう? あそこならば、誰も異を唱えますまい。何しろ焼け野原でございますからな」

玄蕃は、先日、不審火によって広範囲が焼け落ちた庶民の住居跡を思い浮かべた。もちろん、その火事の裏には、玄蕃と越後屋の暗躍があったことは言うまでもない。

「ふむ。しかし、あそこは庶民の住居跡。立ち退きには手間がかかるのではないか?」

「へえ、ご心配なく。お代官様の御威光があれば、いかなる者も文句は言いますまい。それに、焼け出された者には、心ばかりの見舞い金と称して、ほんの少しの銭をくれてやれば、喜んで立ち退きましょう。何しろ、路頭に迷うよりはましと考えるはずでございます」

宗右衛門は、にこやかに答えたが、その目は冷酷だった。玄蕃は、満足そうに頷いた。

「して、その見舞い金とやらの銭は、どのように工面するつもりだ?」

「へえ、それはもちろん、お代官様のお力添えをいただければと存じます。幕府からの復興支援金と称して、いくらか融通していただければ…」

宗右衛門の言葉に、玄蕃は顔色一つ変えずに答えた。

「うむ。それは吝かではない。しかし、その銭も、我らの懐に入る分が少なくては意味がない」

「へえ、ご安心ください、お代官様。名目はあくまで復興支援。実際に使われたかどうかの追及など、誰もできはしません。支援金の半分ほどを、アパート建設の費用に充て、残りは我々の分け前とすることで、いかがでございましょうか?」

宗右衛門は、まるで当たり前のように悪事を提案する。玄蕃は、その提案に満足げに頷いた。

「うむ、悪くない。して、建設費用はどうするつもりだ? これもまた、我々の懐を痛めてはならぬ」

「へえ、そこも抜かりはございません。お代官様の御威光をもってすれば、材木問屋や大工の元締めなど、いくらでも頭を下げてくるでしょう。幕府の大事業と銘打てば、いくらでも安く仕入れることができましょうし、手抜き工事とて、誰も文句は言いますまい。なにしろ、お代官様のご用命でございますからな」

宗右衛門は、悪どい笑みを浮かべた。建設費を水増しし、差額を懐に入れる算段である。

「なるほど、手抜き工事か。それは名案だ。しかし、もし倒壊などすれば、我らの首が危うくなるぞ」

玄蕃は、少しばかり眉をひそめた。

「へえ、ご心配なく。倒壊など致しません。多少、手抜きをしたところで、すぐに倒れるようなことはございません。それに、万が一のことがあっても、それは天災か、あるいは大工の不手際とでもしておけば、我々に累は及びますまい。何しろ、お代官様の御威光がございますからな」

宗右衛門の言葉は、どこまでも軽薄だった。玄蕃は、その言葉に、ふたたび満足げに頷いた。

「うむ。して、アパートの管理はどうする? 借り手から家賃を徴収するのも、骨が折れるのではないか?」

「へえ、そこが肝心でございます、お代官様。この越後屋めが、直接、借り手から家賃を取り立てるのでは、労力もかかりますし、何かと煩わしい。そこで、もう一つ妙案がございます」

宗右衛門は、にやりとさらに笑みを深めた。玄蕃は、興味津々といった様子で身を乗り出した。

「ほう、申してみよ」

「へえ、このアパートを建てる際には、名目上、ある『組』に管理を任せるとするのです。表向きは、その組が部屋を貸し出し、家賃を徴収する。しかし、実際は、その組は飾りでございます。この越後屋めが、その組に一括して部屋を貸し出し、その組から家賃を徴収するのです。これを『サブリース』と申します」

宗右衛門は、得意げに解説した。玄蕃は、ふむ、と唸った。

「つまり、そちはその組に部屋を貸し、その組が借り手に部屋を貸すと申すか。では、その組は何のために存在するのだ?」

「へえ、そこが味噌でございます、お代官様。その組は、この越後屋めが影で操る傀儡にございます。我々が直接、借り手と交渉する手間が省けますし、もし家賃の滞納などがあれば、その組の者が、容赦なく取り立てる。そうすれば、我々の手を汚さずに済むのです。そして、その組からは、多少安く家賃を徴収しておき、組が借り手から徴収する家賃との差額が、そのままこの越後屋めの儲けとなるのでございます」

宗右衛門は、さらに悪どい算段を披露した。玄蕃の目は、ギラギラと輝いた。

「なるほど! それは良い! まさに一石二鳥というやつか! 我らが直接、庶民から銭を巻き上げるのは、あまりにも露骨であろうと思っていたところだ。その組とやらを間に挟めば、我らは安全な場所で銭を数えることができる」

玄蕃は、豪快に笑った。宗右衛門も、玄蕃につられるように笑った。

「まさにその通りでございます、お代官様。さらに、その組は、お代官様の御威光を借りて、用心棒を雇い、アパートの治安維持に努めるという名目も立つ。そうすれば、庶民も安心して住むことができると、かえって喜ぶかもしれませんな」

「うむ、それは良い。そうすれば、いよいよこのアパートの評判は高まり、部屋の取り合いになる。そうなれば、その組が借り手から徴収する家賃を、さらに釣り上げることができよう。その分、我らの懐に入る銭も増えるというわけだ!」

玄蕃は、興奮して身を乗り出した。

「へえ、その通りでございます。そして、もう一つ。もし、このアパートの事業が軌道に乗れば、他の町にもアパートを建てる。そして、すべてサブリースにすれば、江戸の住居事情は、このお代官様とこの越後屋めが牛耳ることになりましょう」

宗右衛門の言葉に、玄蕃は恍惚とした表情を浮かべた。

「ふははは! それは良い! 江戸の住居を牛耳るか。素晴らしい! そうなれば、我らの懐は、湯水のように溢れ出すであろうな!」

玄蕃は、豪快に笑った。宗右衛門も、玄蕃につられるように笑ったが、その笑顔はどこか不気味だった。

「へえ、お代官様。お代官様の御威光と、この越後屋めの知恵が合わされば、いかなる大金も手に入れられましょう。これぞまさに、濡れ手に粟でございます」

「うむ。越後屋、そちはまことによく働く。褒美は弾むぞ」

玄蕃は、満足げに頷いた。宗右衛門は、深々と頭を下げた。

「もったいないお言葉にございます、お代官様。この越後屋め、お代官様のためならば、いかなる悪事も厭いません」

二人の間に、悪の連帯感が生まれた。提灯の明かりが、二人の影を大きく揺らし、その影はまるで、巨大な怪物のようだった。

「して、越後屋。この件は、くれぐれも口外無用ぞ」

玄蕃は、真顔に戻り、宗右衛門に釘を刺した。

「へえ、もちろんでございます、お代官様。この越後屋め、口は堅うございます。たとえ打ち首獄門になろうとも、お代官様の名を汚すような真似は致しません」

宗右衛門は、さらに深く頭を下げた。その言葉は、玄蕃に対する忠誠心を表しているようにも見えたが、その実、己の保身を第一に考えていることは明らかだった。

「うむ。よかろう。では、手はず通りに進めるのだぞ」

「へえ、承知いたしました。では、これにておいとまを」

宗右衛門は、ゆっくりと立ち上がり、玄蕃に再度深々と頭を下げた。玄蕃は、満足げに宗右衛門の背中を見送った。宗右衛門が障子の向こうに消えると、玄蕃はふたたび、ふははは! と高笑いした。その笑い声は、梅雨の夜空に吸い込まれていった。

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