悪代官と越後屋の密談「コスメ地獄」

じめじめとした夏の夜、黒沼玄蕃の屋敷の奥座敷には、ひそやかな明かりが灯っていた。蒸し暑さを嫌う玄蕃は、開け放たれた障子の向こうに広がる庭の闇を眺めながら、上機嫌で茶をすすっている。向かいに座るのは、油断なく目を光らせる越後屋宗右衛門だ。座敷に漂うのは、香炉から立ち上る伽羅の香と、二人の男の悪だくみの匂いである。

「越後屋、今宵もまたご苦労」

玄蕃がにやりと笑い、宗右衛門に目をやる。

「お代官様には及びもつかぬこと。この宗右衛門、お代官様のお役に立てるのであれば、いかなる苦労もいとわぬ所存にございます」

宗右衛門は深々と頭を下げた。その顔には、相変わらずのへつらいが貼り付いている。しかし、玄蕃はその裏に隠された、宗右衛門のぎらついた欲望を見抜いていた。だからこそ、玄蕃は宗右衛門を重用するのだ。己の欲を満たすため、宗右衛門はどこまでも玄蕃に付き従うだろうと知っていたからだ。

「うむ。して、越後屋。先の件、首尾はどうであった?」

玄蕃は扇子を手に、ゆったりと問う。

「はっ。お代官様の仰せの通り、例の品、着々と準備を進めておりまする」

宗右衛門の目がきらりと光った。その視線の先には、見事なまでに綿密に練り上げられた、新たな金儲けの企みが描かれている。

「なるほど。それは聞き捨てならぬ。詳しく聞かせよ」

玄蕃は身を乗り出した。彼の脳裏には、すでに莫大な金が積み上がっていく光景が浮かんでいた。

「はっ。お代官様。巷では今、『美』に対する女どもの執着がすさまじいことになっておりまする」

宗右衛門は、まるで獲物を見つけた獣のように目を輝かせながら話し始めた。

「美、とな?」

玄蕃は興味をそそられた。彼の知る「美」とは、せいぜい遊郭の女郎が施す白粉程度のものである。

「左様でございます。顔を白く塗りたくるばかりでは飽き足らず、肌のきめを整えたいだの、しわをなくしたいだの、シミを消したいだの…欲望はとどまるところを知りませぬ」

宗右衛門はにやにやと笑う。

「ふむ。女というものは、いつの世も馬鹿なものよな」

玄蕃は鼻で笑った。しかし、その顔には侮蔑の色よりも、むしろ金になる匂いを嗅ぎ取ったかのような、鋭い光が宿っている。

「まさに! その女どもの馬鹿さ加減こそ、我らが私腹を肥やす絶好の機会と相成るかと」

宗右衛門は扇子を広げ、得意げに語る。

「ほう。して、その『美』とやらで、いかにして金を生み出すつもりだ?」

玄蕃は、宗右衛門の言葉の続きを促した。

「それはもう、『コスメ地獄』とでも申しましょうか。一度足を踏み入れたら、二度と抜け出せぬ。それがしが用意いたしますのは、まさにそのような品々にございます」

宗右衛門は、すっかり悪どい笑みを浮かべている。その表現に、玄蕃の好奇心はますます掻き立てられた。

「コスメ地獄、か。面白い響きよな。詳しく申せ」

「はっ。まず、第一弾としましては、肌に潤いを与えるという触れ込みの『玉肌水』でございます」

宗右衛門は、懐から小さな竹筒を取り出した。中には、とろりとした液体が入っている。

「これは、市井に売られている化粧水とは一線を画します。何しろ、その原料は秘伝の製法により、稀少な薬草から抽出されたものと偽り、高値で売りつけるのでございます」

「偽り、だと? それでは、いずれ露見するのではないか?」

玄蕃は眉をひそめた。

「ご心配には及びませぬ、お代官様。そもそも、肌のきめが整うなど、気の持ちよう、プラシーボ効果と申しましょうか。実際に効果がなくとも、女どもは信じ込みますゆえ」

宗右衛門は涼しい顔で言い放った。その言葉に、玄蕃は感心したようにうなずく。

「なるほど、見事な発想よな。しかし、それで終わりではあるまい?」

玄蕃は、宗右衛門がたったこれしきのことで満足する男ではないと知っていた。

「もちろんでございます、お代官様。玉肌水で肌のきめが整ったと錯覚させれば、次に欲しくなるのは、さらなる美白効果でございます」

宗右衛門は、さらに別の竹筒を取り出した。

「こちらは、『白雪膏』と申します。雪のように白い肌を手に入れられると謳い、こちらもまた高値で売りつけます」

「白雪膏、か。またしても偽りか?」

「左様でございます。ただし、こちらは少々工夫を凝らします。肌を一時的に白く見せるための、ごく微量の顔料を混ぜておけば、女どもは効果があったと信じ込むでしょう」

宗右衛門の顔には、悪魔的な笑みが浮かんでいた。その発想の巧妙さに、玄蕃は舌を巻いた。

「越後屋、そちはまこと、悪知恵が働く男よな」

玄蕃は感嘆の声を漏らした。

「恐縮でございます。しかし、真の地獄はこれからでございます」

宗右衛門は、さらに声を潜めた。

「ほう、まだあるのか?」

「はっ。玉肌水、白雪膏と使わせ、肌が一時的に改善されたと錯覚させた後、女どもはさらに高みを目指したがるものでございます。そこで、次なる品を投入します」

宗右衛門は、にやりと笑いながら、布に包まれた小さな瓶を取り出した。

「これは、『若返りの霊薬』と名付けたものです。皺を消し去り、シミを薄くすると謳います。その実態は、単なる薬草を煮詰めた汁に過ぎませぬが、いかにも高貴な香りをつけ、希少な成分が配合されていると宣伝します」

「若返りの霊薬、か。またしても、いかにも女どもが飛びつきそうな名よな」

玄蕃は、目を細めた。

「左様でございます。しかも、この霊薬は、使い続けることで効果が持続すると言い含めます。つまり、一度使い始めたら、止めるに止められなくなる。まさにコスメ地獄にございます」

宗右衛門は、得意げに胸を張った。彼の言葉に、玄蕃の口元が吊り上がった。

「なるほど。つまり、一度買い始めれば、延々と買い続けさせる仕組みというわけか」

「その通りでございます、お代官様。しかも、効果を実感できない者には、『使い方が悪い』『量が足りない』などと、さらなる高額な品を勧めます。そうすることで、女どもはますます深みに嵌っていくのでございます」

宗右衛門の言葉を聞きながら、玄蕃はすでに、その仕組みがもたらすであろう莫大な利益を計算していた。

「越後屋、そちはまこと、天晴れよな。しかし、それだけでは終わるまい? さらに巧妙な手があるのだろう?」

玄蕃は、宗右衛門の真の狙いを測るように問いかけた。宗右衛門は、してやったりとばかりに口元を歪めた。

「お見通しでございます、お代官様。この若返りの霊薬を使い続けることで、肌に異変が生じるよう、密かに仕込みをしております」

「異変、だと?」

玄蕃は、少しだけ顔色を変えた。

「はい。例えば、ほんのわずかなかゆみや、赤みが出る程度でございます。しかし、女どもはそれを『好転反応』と信じ込むでしょう。あるいは、『肌が生まれ変わる痛み』などと説明すれば、かえって喜んで使い続けるかもしれません」

宗右衛門は、悪びれる様子もなく言い放った。その冷酷な発想に、玄蕃は背筋がゾッとしたが、同時に、これほどの男であれば、鬼に金棒だと確信した。

「だが、その異変がひどくなれば、さすがに怪しまれるのではないか?」

玄蕃は、念のため確認した。

「ご安心ください、お代官様。万が一、肌荒れがひどくなったとしても、それもまた金儲けの種にございます」

宗右衛門は、さらに別の品を取り出した。

「こちらは、『救済の妙薬』と名付けたものです。肌荒れを鎮めると謳い、これまた高額で売りつけます。しかし、この妙薬もまた、一時的に症状を抑えるだけで、根本的な解決にはなりません。つまり、女どもは、肌荒れを治すために、この妙薬を買い続けなければならなくなるのでございます」

宗右衛門の言葉に、玄蕃はぞっとするような笑みを浮かべた。

「ふむ、つまり、そちは女どもをコスメ地獄に突き落とし、そこから抜け出せなくすることで、永続的に金を巻き上げる算段というわけか」

玄蕃は、感嘆のため息をついた。

「お代官様のおっしゃる通りでございます。一度、この地獄に足を踏み入れれば、女どもは我らの手のひらの上で踊り続けることになりましょう。美への執着は、女にとって、麻薬にも似たものでございますゆえ」

宗右衛門は、深く頭を下げた。その顔には、隠しきれないほどの満足感が漂っている。

「越後屋、そちの悪知恵には、まことに恐れ入る。だが、その悪知恵こそ、わしが求めていたものよな」

玄蕃は、満足げに笑った。

「お代官様、恐悦至極にございます。この宗右衛門、お代官様のためならば、いかなる悪事も辞しませぬ」

宗右衛門は、さらに深々と頭を下げた。その瞳の奥には、金への飽くなき欲望が燃え盛っていた。

「よかろう、越後屋。この件、わしが全面的に協力してやろう。その代わり、利益は山分け、良いな?」

玄蕃は、にやりと笑い、宗右衛門に手を差し出した。

「お代官様、それはもう! もちろん、お代官様の取り分は、十二分に用意させていただきます」

宗右衛門は、玄蕃の手を握りしめ、満面の笑みを浮かべた。

「うむ。して、この件、いかにして世間に広めるつもりだ?」

玄蕃は、具体的な販売戦略を問うた。

「はっ。まずは、大奥の女中に賄賂を送り、この品々を流行らせます。女中たちは、競うようにこの品々を求め、やがて町娘たちの間にも広まるでしょう。美に敏感な女どもは、周りが使っているとなれば、自らも手を出さずにはいられなくなりますゆえ」

宗右衛門は、抜かりなく計画を立てていた。

「なるほど、見事な計略よな。それに、大奥の女中が使い始めれば、誰もが疑うことなく、飛びつくであろう」

玄蕃は、感心したようにうなずいた。

「左様でございます。そして、この品々には、決して手に入りにくい稀少な成分が使われていると触れ込み、限定販売といたします。そうすれば、女どもは我先に手に入れようと、殺到することでしょう」

宗右衛門は、さらに畳み掛ける。

「限定販売、か。女どもの購買意欲を煽る、まことに巧妙な手よな。して、価格はどのように設定するつもりだ?」

「はっ。もちろん、原価の何十倍、何百倍もの高値でございます。高ければ高いほど、女どもは『良い品』だと信じ込むものでございますゆえ」

宗右衛門は、悪びれることなく言い放った。その言葉に、玄蕃は満足げにうなずいた。

「うむ、そのほうの言う通りよな。女というものは、まこと面白いものよな。美のためならば、いかなる金も惜しまぬ。その性(さが)につけこめば、いくらでも金を巻き上げられるものよ」

玄蕃は、上機嫌で茶を飲み干した。彼の脳裏には、金貨が山と積まれる光景が鮮明に浮かんでいた。

「お代官様、この『コスメ地獄』計画、抜かりなく進めさせていただきます。どうぞご期待くださいませ」

宗右衛門は、深々と頭を下げた。その顔には、金への渇望と、悪事への愉悦が入り混じっていた。

「うむ。越後屋、そちのことだ。しくじることはあるまい。この件、わしはそちに任せたぞ」

玄蕃は、扇子を閉じ、満足げに微笑んだ。闇夜に響く二人の低い声は、あたかも悪魔の囁きのように、静かに消えていった。そして、この密談が、多くの女たちを底なしのコスメ地獄へと突き落とす序章となることを、まだ誰も知る由もなかった。

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