時は太平、世は元禄。江戸の町は今日も瓦の屋根が連なり、庶民の暮らしはつつがなく過ぎていく。しかし、その裏側では、悪事の種が芽吹き、やがて大輪の花を咲かせようとしていた。ここはお代官様、黒沼玄蕃の屋敷の奥座敷。絢爛豪華な調度品に囲まれたその部屋で、玄蕃は一人の男と向かい合っていた。男の名は越後屋宗右衛門。表向きは呉服商として名高いが、その実態は玄蕃と結託し、甘い汁を吸い続ける悪徳商人である。
「越後屋、今日の稼ぎはどうであった?」
上座にふんぞり返る玄蕃は、豪奢な煙管をくゆらせながら、ふてぶてしい笑みを浮かべた。その顔には、長年の悪行で培われた厚顔無恥が貼りついている。
「へえ、お代官様には及びもつきませぬが、おかげさまで、ささやかながらも儲けさせていただいております」
越後屋は深々と頭を下げ、卑屈な笑みを浮かべる。しかし、その目にはぎらついた欲望の光が宿っていた。今日の密談は、これまで以上に大がかりな儲け話だ。越後屋の胸は期待に高鳴っていた。
「ささやかだと? そちのささやかは、庶民の一生分に匹敵するではないか。しかし、それでよい。そのほうが潤えば、わしも潤う道理よ」
玄蕃は満足げにうなずき、越後屋に酒を注ぐよう促した。越後屋は慣れた手つきで徳利を傾け、玄蕃の盃を満たす。
「して、越後屋。今日の話は、これまでとは一味違う。そちの才覚をもってすれば、必ずや大成することであろう」
玄蕃は盃を傾けながら、意味深な言葉を漏らした。越後屋は息をのんだ。これまで玄蕃が持ちかける儲け話は、常に越後屋に莫大な利益をもたらしてきた。今回もまた、とんでもない話に違いない。
「お代官様のお眼鏡にかなうのであれば、この宗右衛門、いかようなことでも」
越後屋は身を乗り出し、玄蕃の言葉を待った。
「うむ。実はな、最近、この江戸の富裕層の間で、とあるものが流行しておる。名を『ゴルフ』と申す」
玄蕃の口から出た意外な言葉に、越後屋は怪訝な顔をした。ゴルフなどという言葉は、これまで聞いたこともない。
「ゴルフ、でございますか? それは一体…」
「なんでも、青々とした広大な芝生の上で、棒切れを使って小さな球を打ち、穴に入れる遊びだとか。まだ一部の者しか知らぬが、これがなかなかに面白いらしい。そして、この遊びには、特別な『会員権』なるものが存在するのだ」
玄蕃はにやりと笑った。越後屋は玄蕃の言葉の真意を測りかねていたが、その表情から、それが新たな金儲けの匂いを放っていることを直感した。
「会員権、でございますか」
「うむ。この会員権を持つ者だけが、その『ゴルフ場』とやらで遊ぶことができる。そして、その会員権の価値は、日増しに高まっているらしい」
玄蕃は、まさに獲物を見つけたかのような、獰猛な目をしていた。
「なるほど…。しかし、お代官様、そのゴルフとやら、我々には縁遠い遊びではございませぬか? いかにして、そこから利を得られましょうや」
越後屋はまだ腑に落ちない様子で尋ねた。
「ふん、越後屋。そちもまだまだ未熟よのう。何も我々がその棒切れを振るう必要はない。重要なのは、その会員権じゃ。今、この会員権を手に入れることができれば、将来的にとんでもない値で売りさばけることは明白。つまり、投機というわけよ」
玄蕃は越後屋の甘さを指摘し、今回の儲け話の肝を明かした。投機――言葉の意味は知らずとも、その行為が莫大な富を生み出すことは、越後屋もよく知っていた。
「な、なるほど! 投機でございますか!」
越後屋の目が、銭の勘定でぎらつき始めた。
「うむ。このゴルフ場とやらは、まだ数が少ない。故に、会員権の数は限られておる。ゆえに価値が高まる。さらに、このゴルフ場を新たに作るには、広大な土地と莫大な費用がかかる。つまり、おいそれとは増えぬ。供給が限られ、需要が増えれば、価値は必然的に高まる。これが道理よ」
玄蕃は、経済の理を悪知恵で語った。越後屋は、玄蕃の言葉に深くうなずいた。
「では、お代官様は、その会員権をいかにして手に入れようと?」
越後屋は核心に迫った。
「ふふふ。そこがわしの腕の見せ所よ。この江戸には、将軍家ゆかりの者や、大名衆の中にも、このゴルフとやらに興味を持つ者が増えておる。彼らは、その会員権を手に入れるためならば、金に糸目はつけぬ。しかし、世間にはまだその存在を知らぬ者も多い。ここに、つけ入る隙がある」
玄蕃は口元に不敵な笑みを浮かべた。
「つまり、その会員権を安く手に入れ、高値で売りつけると?」
越後屋は身を乗り出した。
「その通り。そして、その手段はいくらでもある。例えば、藩の御用達として、ゴルフ場の建設に携わるという名目で、まず土地を手に入れる。そして、その建設費用を水増しし、差額を懐に入れる。さらに、完成したゴルフ場の会員権を、世に出回る前に我々で買い占めてしまうのだ」
玄蕃は、悪辣な計画を淀みなく語った。越後屋は、その巧妙さに感嘆の声を上げた。
「さすがはお代官様! しかし、会員権の買い占めなど、いかにして…」
「そこが、そちの出番よ、越後屋。表向きは、そちの越後屋が、このゴルフ場の運営に協力するという名目で、会員権の販売を一手に引き受けるのだ。そして、その裏で、わしが手配した名義人を使って、密かに買い占めを進める。そうすれば、誰にも怪しまれることなく、会員権を独占できるであろう」
玄蕃は、越後屋に重要な役割を与えた。越後屋の商才と、玄蕃の権力を組み合わせれば、この計画は必ずや成功する。
「ははあ! なるほど! そして、頃合いを見て、高値で売りさばくと!」
越後屋は、すでに目の前に莫大な富が転がっているかのように、顔を紅潮させていた。
「うむ。だが、一つ注意せねばならぬことがある。この会員権の価値は、まだ世間には浸透しておらぬ。故に、いきなり高値で売りつけても、買い手がつかぬ可能性もある。まずは、一部の富裕層に、このゴルフの魅力を吹き込み、需要を煽る必要がある」
玄蕃は、抜かりなく計画の弱点も考慮していた。
「それはお代官様、いかにして?」
「うむ。例えば、ゴルフの腕前を競う『競技会』なるものを企画する。そして、そこに将軍家や大名衆の者を招き、盛大に催すのだ。そうすれば、彼らは皆、このゴルフとやらに夢中になり、会員権を喉から手が出るほど欲しがるようになるであろう」
玄蕃は、貴族社会の心理を巧みに利用しようと考えていた。
「おお! それは名案にございます! さすれば、会員権の価値は鰻登り! 我々の懐も、雪崩を打ったかのように潤いましょう!」
越後屋は興奮を隠しきれない様子で、身震いした。
「うむ。そして、この競技会にかかる費用は、すべて庶民から徴収する『ゴルフ税』とでも銘打って、巻き上げてしまえばよい」
玄蕃は、さらなる悪辣な手口を付け加えた。越後屋は、その非道さに舌を巻いた。
「さすがはお代官様! そのご発想には、ただただ感服するばかりでございます!」
「ふん。庶民など、我々の肥やしに過ぎぬ。彼らが汗水垂らして稼いだ銭を、我らが有効活用してやるのだ。これぞ、世のため人のためというものよ」
玄蕃は、悪事にも関わらず、どこか高慢な態度で言い放った。その言葉には、一切の罪悪感が感じられない。
「その通りでございます! お代官様のおっしゃる通りにございます!」
越後屋は、玄蕃の言葉に追従した。もはや、越後屋の倫理観は麻痺し、ただ金儲けのことしか頭になかった。
「越後屋、この計画が成功すれば、わしらはこれまで以上の富を築けるであろう。そして、その富をもって、さらに大きな悪事を企むことができる」
玄蕃の目は、底なしの欲望に満ちていた。
「はい! お代官様!」
越後屋もまた、その欲望に呼応するように、深く頭を下げた。
「では、早速準備に取り掛かるのだ。まずは、ゴルフ場の候補地探しから始めよ。そして、将軍家や大名衆に、このゴルフとやらを広めるための下準備も怠るでないぞ」
玄蕃は越後屋に指示を出した。
「かしこまりました! この宗右衛門、お代官様のご期待に沿えるよう、粉骨砕身努力いたします!」
越後屋は、深々と頭を下げ、部屋を辞した。その背中からは、銭の匂いがぷんぷんと漂っていた。
越後屋が去った後、玄蕃は一人、満足げに高笑いした。
「ふははは! ゴルフ会員権か! 世はまさに、金のなる木がそこかしこに転がっておるわ! 越後屋よ、そちとわしで、この世の富を根こそぎ奪い取ってくれるわ!」
玄蕃は、手にした煙管を再びくゆらせ、その煙は、まるで悪魔のささやきのように、闇夜に溶けていった。この日、悪代官と悪徳商人の間で交わされた密談は、やがて江戸の町に、新たな悪事の嵐を巻き起こすことになるのであった。そして、その嵐が去った後には、莫大な富を築き上げた悪党どもと、何もかも奪われた庶民の姿だけが残されるのであろう。
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