「越後屋、今日の月もまた格別よのう」
黒沼玄蕃は、月見障子から差し込む柔らかな光を浴びながら、上機嫌に盃を傾けた。隣に座る越後屋宗右衛門は、すかさる上等の酒を玄蕃の盃に注ぎ入れる。
「お代官様におかれましては、毎夜のご歓談、誠に光栄に存じまする。今宵の月も、お代官様の御威光を称えるがごとく、殊の外輝いておりますな」
越後屋は卑屈な笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。その視線は、玄蕃の懐具合を常に値踏みしているかのように鋭い。
「はっはっは、越後屋も相変わらず口が上手い。しかし、今宵は単なる月見酒ではござらん。そちに聞きたいことがあってな」
玄蕃は盃を置き、越後屋をじっと見据えた。越後屋は背筋を伸ばし、真剣な表情を装う。
「何なりと。この越後屋、お代官様のためならば、いかなるご命令も畏れ多くも拝承いたしまする」
「うむ。実はな、最近、妙な噂を耳にするようになったのだ。世間では、『子供部屋おじさん』などと申しておるらしいが、そちは知っておるか?」
玄蕃の問いに、越後屋は一瞬、眉をひそめた。しかし、すぐにいつもの愛想笑いに戻る。
「はて、子供部屋おじさん、でございますか? 申し訳ございませぬ、お代官様。この越後屋、不勉強ゆえ、初めて耳にする言葉でございます」
「とぼけるでない、越後屋。そちほどの情報通が知らぬはずがない。親元に寄生し、年を重ねてもなお、自立せず、親の脛をかじり続ける輩のことよ。世間では蔑みの対象となっておるが、玄蕃はな、そこにこそ、新たな利権の匂いを感じておるのだ」
玄蕃の言葉に、越後屋の目がギラリと光った。越後屋の脳裏には、すでに金儲けの算段が巡り始めていた。
「なるほど……お代官様は、さすがでございます。この越後屋、まだまだ未熟でございました。しかし、そのような者たちから、いったいどのようにして富をむしり取るというのでございましょう?」
越後屋は身を乗り出し、玄蕃の言葉の続きを促した。
「ふむ。考えても見よ、越後屋。奴らは、親の恩恵に甘んじ、家賃も食費もろくに払わず、そのくせ小遣いはしっかりともらっておる。稼ぎがないわけではないのに、趣味だの道楽だのに金を費やし、一向に自立しようとせぬ。まさに、我ら悪党にとっての打ち出の小槌ではなかろうか?」
玄蕃はにやりと笑い、再び盃に手を伸ばした。越後屋は感嘆の声を上げる。
「お代官様のお見識、まことに恐れ入ります! しかし、具体的にどのように彼らから金を搾り取るか、その妙案は……」
「焦るな、越後屋。策はいくつかある。まずは、奴らの親に取り入るのだ。親たちは、年老いてもなお、子供の行く末を案じておる。そこに付け込むのだ」
玄蕃は声を潜め、越後屋に耳打ちした。
「例えば、『子息様の自立支援』と称して、高額な塾や習い事を斡旋するのだ。どうせ奴らは学ぶ気などないのだから、適当な講師を雇い、形式だけ整えればよい。親は藁にもすがる思いで、金を出すだろうて。教材費と称して、ろくでもない高価な書物を売りつけるのも一興だ」
越後屋は手を叩き、膝を打った。
「なるほど! 親の心子知らず、とはよく言ったものでございますな。親の情けにつけこむとは、さすがはお代官様。鬼も逃げ出す悪知恵でございます!」
「ふん、褒めても何も出ぬわ。だが、それだけではまだ足りぬ。奴ら自身からも金を毟り取る必要がある。奴らは、外に出たがらない傾向にある。閉じこもりがちで、世間との交流を嫌う。そこにこそ、商機があるのだ」
玄蕃は不敵な笑みを浮かべた。
「どういうことでございましょう?」
越後屋は前のめりになった。
「奴らは、親の金で気ままな生活を送っておる。しかし、それゆえに、世間の目から隠れたがるものだ。そこで、『秘密の社交場』と称して、高額な会員制の倶楽部を作るのだ。もちろん、名ばかりの倶楽部でよい。会員権を売りつけ、月に一度か二度、それらしい催しを開けば、奴らは喜んで金を出すだろうて。外に出ずに楽しめる場所、という名目でな」
「おお! それは名案でございます! 倶楽部内で、さらに高額な酒や食事を提供すれば、一石二鳥でございますな。しかし、万が一、彼らが自立しようなどと考え始めたら……」
越後屋の懸念に、玄蕃は鼻で笑った。
「心配無用。奴らは、一度楽な生活に慣れてしまえば、なかなかそこから抜け出せぬものだ。それに、もし万が一、自立を志すような奇特な者が現れたとて、我らが手をこまねいているわけがなかろうて」
玄蕃は不敵な笑みを深めた。
「例えば、『自立支援コンサルティング』と称して、高額な相談料を取るのだ。そして、あえて難癖をつけ、実現不可能な条件を突きつけ、自立を諦めさせる方向に仕向ける。あるいは、就職先を紹介すると見せかけて、実は我らが抱える下請けの、過酷な労働環境の職場に斡旋するのだ。そこで奴らが音を上げれば、再び親元に舞い戻り、我らが顧客となる。まさに、無限ループよ!」
越後屋は感嘆の声を上げた。
「お代官様、恐れ入りました! まさに鬼才! その発想力、この越後屋、足元にも及びませぬ!」
「ふん。まだある。奴らは、インターネットとやらで、妙な繋がりを持っておると聞く。そこに目をつけぬ手はない」
玄蕃は指を一本立てた。
「インターネット、でございますか……?」
越後屋は首を傾げた。
「そうだ。奴らは、顔の見えぬ相手と匿名で交流することを好むらしい。ならば、『オンラインサロン』と称して、高額な月額会費を徴収するのだ。会員限定の情報提供と称して、どこにでもあるような情報をそれらしく見せかければよい。あるいは、彼らが好みそうな怪しげな『投資話』を持ちかけるのも手だ。どうせ碌な知識もないのだから、適当な理屈を並べれば、簡単に騙されよう」
「なるほど! インターネットとは、まさに金脈でございますな! しかし、そのようなこと、公になれば……」
越後屋の言葉に、玄蕃は冷ややかな目を向けた。
「越後屋、何を今さら。我らがこれまで、どれほどの悪事を重ねてきたか、忘れたか? 世間が騒ぎ立てようと、我らが裏で手を回せば、どうとでもなる。奉行所に袖の下を渡し、適当な罪を着せて、奴らを牢にぶち込めばよい。あるいは、厄介な者は、それとなくこの世から消し去れば、証拠も残らぬ」
玄蕃は盃をぐいと飲み干した。越後屋はごくりと唾を飲み込んだ。
「お代官様のお言葉、肝に銘じまする。しかし、一つ懸念が。彼らの親が、我らの企みに気づき、反撃に出てくることはないかと……」
「心配無用。親は、子が可愛いゆえに、我らが差し伸べる『救いの手』に、疑いを抱くことはない。それに、仮に気づいたとしても、我らが握っている弱みは、いくらでもある。年貢の滞納、私腹を肥やすための不正、裏帳簿の存在……。それらをちらつかせれば、親も黙るしかあるまい」
玄蕃は不敵な笑みを浮かべた。越後屋もまた、その悪辣な計画に、内心でほくそ笑んだ。
「お代官様、誠に恐れ入りまする。この越後屋、お代官様の御威光の下、ますます商売に励み、御恩に報いる所存でございます」
「うむ。そのほうの働きに期待しておるぞ、越後屋。子供部屋おじさん、か。良い響きではないか。これでまた、しばらくは懐が温かくなりそうだ」
玄蕃は満足そうに月を見上げた。その横顔には、新たな悪行への期待が満ち溢れていた。越後屋もまた、今後の莫大な利益を想像し、口元を緩ませた。月明かりの下、悪代官と越後屋の密談は、夜遅くまで続くのであった。
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