悪代官と越後屋の密談「うつ病と心療内科」

悪代官と越後屋が語る現代の「病」

一、 月下の密会、現代の陰り

闇夜に響く虫の音。鬱蒼と茂る森の奥、ひっそりと佇む黒沼屋敷の書院には、いつものように二つの影があった。一人は、この地の支配者たる悪代官、黒沼玄蕃。そしてもう一人は、玄蕃に取り入り、私腹を肥やす奸商、越後屋宗右衛門である。今宵もまた、世情の裏側を覗き見るかのような、彼らなりの「よもやま話」が始まった。

「いやはや、玄蕃様。この越後屋め、世の中の移り変わりには本当に驚かされておりまする。」 宗右衛門が、盆に載せられた高級な菓子をつまみながら、にやにやと笑う。 「何だ、越後屋。また何か、我らの世にも知れぬ儲け話でも嗅ぎつけてきたか?」 玄蕃は、豪快に酒を呷りながら、宗右衛門の言葉を促す。 「へえ、それがしでございます。最近、京や江戸の都では、『心療内科』なるものが流行りだしているとか。なんでも、心を病んだ者が通うところだそうで。」 「心療内科だと? 心を病む、か。我らの世にも、物の怪に取り憑かれた者や、憂鬱に沈む者はいくらでもいたが、それを『病』と称し、医者が診るとは、奇妙な話よのう。」

玄蕃は、興味深げに眉をひそめた。彼の生きてきた時代において、「心の病」は神仏の祟りや、本人の心の弱さに起因すると考えられることが多かった。医術の及ぶ範囲外の事柄、というのが当時の一般的な認識である。

「それが、玄蕃様。どうやらこの『うつ病』とやら、厄介な病のようで。朝起きられぬ、食欲がない、何をする気も起きぬ、といった症状が出るばかりか、最悪の場合、自ら命を絶つ者までいるとか。」 宗右衛門の声には、どこか畏怖の念が混じっていた。普段は金儲けのことばかり考えている彼も、人の命に関わる話となると、さすがに顔色が変わる。 「ふむ。我らの世にも、そのような者はいた。だが、それは『気鬱』などと呼ばれ、日当たりの良い場所で休ませたり、滋養のあるものを食べさせたり、あるいは気晴らしをさせたり、といった程度で済ませていたものだが…」 玄蕃は腕を組み、考え込む。彼にとって、「病」とは熱や咳、怪我など、目に見える身体の不調を指すものであった。心の内側から湧き上がる不調が「病」と定義されることに、違和感を覚えるのは当然だった。

二、 現代病「うつ」の深淵

「しかし、玄蕃様。この『うつ病』とやらは、現代においては非常に広まっているそうでございます。老若男女問わず、多くの者がこの病に苦しんでいると聞きまする。」 宗右衛門は、酒を注ぎながら続ける。 「広まっておる、と申すか。それはまた、一体何故だ? 我らの世と比べ、現代は豊かになったと聞く。飢えに苦しむこともなく、戦に怯えることもない。むしろ、生きやすい世になったのではなかったのか?」 玄蕃の疑問はもっともであった。彼の知る世界は、常に飢餓と隣り合わせであり、武士の世にあってはいつ命を落とすかわからないという不安が常に付き纏っていた。それと比べれば、現代社会ははるかに安定しているように思える。

「それが、玄蕃様。現代には現代の苦悩があるようでございます。例えば、『競争社会』というものがございまして。人々は常に、他者と競い合い、上を目指さねばならぬと教え込まれるとか。」 「競争か。我らの世にも、出世競争はあったが、それとは違うと申すか?」 「へえ。現代の競争は、もっと陰湿でございます。目に見えぬところで比べられ、評価され、少しでも劣れば『落ちこぼれ』の烙印を押されるとか。学校から職場、いや、家庭の中にまで、この競争の影が忍び寄っているそうでございます。」

宗右衛門の言葉に、玄蕃は静かに耳を傾ける。彼らの時代にも競争はあったが、それは身分制度という明確な枠組みの中で行われるものであり、また、農民であれば飢えを凌ぐことが最優先という、ある種の諦めや共同体の中での助け合いがあった。しかし、現代社会の競争は、全ての人々を等しく「個人」として投げ込み、無限の努力と成果を要求しているかのようである。

「そして、『情報過多』というのも問題だとか。ありとあらゆる情報が、瞬時に手に入る世の中になったと。しかし、それがかえって人々を苦しめるのだそうで。」 「情報が苦しめる? 情報を得て、賢くなることは良いことではないのか?」 「いえいえ、玄蕃様。例えば、他人の成功や幸福が、まるで手鏡のように映し出され、常に自分の不遇と比較させられるとか。また、世の中の暗いニュースや、不安を煽る情報がひっきりなしに飛び込んでくるため、心が休まる暇がないと。」

玄蕃は、現代の闇の一端を垣間見たような気がした。彼の時代にも、噂話や悪い知らせはあったが、それは限られた範囲でのことであった。現代社会においては、世界中の情報が瞬時に個人に押し寄せ、心の平静を保つことを困難にしているというのだ。

「さらに、『人間関係の希薄化』というのもあるようでございます。隣近所との付き合いも薄くなり、何か困ったことがあっても、気軽に相談できる相手がいないとか。皆、携帯電話なる小さな板切れを眺め、SNSなるものでつながっているようですが、それは真のつながりではないのだと。」

玄蕃は、昔を思い出すかのように目を閉じた。彼らの時代には、村八分という厳しい制裁もあったが、それは同時に、共同体という強固なつながりがあったことの裏返しでもあった。現代社会は、個人の自由を謳歌する一方で、孤独という代償を払っているかのようだ。

「そうか。人々は、満たされた生活を送っているように見えて、実は心の奥底で、孤独や不安、あるいは焦燥感に苛まれているというわけか。それが、この『うつ病』という形で、表に現れるのだな。」 玄蕃は、深く頷いた。彼の悪行も、ある意味では世の不条理や人間の欲望を映し出す鏡であったが、現代社会の「うつ病」は、それとは異なる、より根深い人間の本質的な苦悩を示しているように思えた。

三、 心療内科の功罪

「さて、玄蕃様。この『うつ病』に対し、『心療内科』なるものが現れたと申しましたが、これにもまた、問題があるようでございまして。」 宗右衛門は、ここぞとばかりに話を続ける。悪代官の興味を惹きつけ、彼が何を考え、どう動くかを探るのが越後屋の常道である。

「問題だと? 病を癒すのが医者の役目であろうに、何が問題なのだ?」 「へえ、玄蕃様。まず、第一に挙げられるのは、『気軽に薬を処方しすぎ』という批判でございます。なんでも、心を落ち着かせる薬、気分を高揚させる薬など、様々な薬があるそうで。しかし、一度飲み始めると、やめられなくなる者もいるとか。」

玄蕃は、薬物中毒の弊害を知っていた。彼らの時代にも、鴉片(アヘン)などの危険な薬物が存在し、多くの人間を廃人にしてきた歴史がある。現代の心療内科の薬も、それに似た性質があるというのか。

「つまり、その薬は、病の根源を断つのではなく、一時的に症状を抑え込むに過ぎない、と申すか?」 「お見通しでございます、玄蕃様。そして、その薬には副作用もあると。眠気や吐き気、あるいは別の精神症状を引き起こすこともあるそうで。」

宗右衛門の言葉に、玄蕃は眉をひそめる。医術の進歩は素晴らしいが、その裏に隠された危険性もまた、見過ごしてはならないと感じた。

「そして、第二の問題は、『心療内科医の数』でございます。需要に供給が追いつかず、一人あたりの診察時間が非常に短いと。患者の話をじっくり聞くこともなく、症状を聞いて、薬を出すだけ、という医者も少なくないとか。」 「ほう。それでは、まさに『流れ作業』ではないか。それでは、患者の心に寄り添うことなどできまい。」 玄蕃は、かつての藩医を思い出した。彼らは、たとえ身分の低い者であっても、時間をかけて診察し、病の原因を探り、治療にあたったものだ。現代の心療内科医は、多忙ゆえに、そうした「人間味」を失っているのかもしれない。

「第三には、『診断の難しさ』がございます。心の病は、目に見えぬゆえに、医者によって診断が異なることも少なくないとか。本当は別の病なのに、うつ病と診断され、間違った治療を受ける者もいるそうでございます。」 「むう。それは厄介な話だな。我らの世では、病名はともかく、症状が明確であれば治療法も絞り込めたが、心の内側となると、そうもいかぬか。」 玄蕃は、医術の限界を改めて認識した。身体の病は、検査や診察である程度客観的に判断できるが、心の病は、患者の言葉と医師の経験に頼る部分が大きい。

「そして、最後に、『社会的な偏見』もございます。たとえ心療内科にかかっていることが知られれば、『あの人はおかしい』という目で見られたり、仕事に影響が出たりすることもあるとか。そのため、なかなか受診に踏み切れない者も多いそうでございます。」 「それは、我らの世の『狂人』と見なされるのと似ておるな。病と認識されながらも、それが社会的に受け入れられぬとは、皮肉な話よ。」 玄蕃は、現代社会の抱える矛盾に、どこか冷笑的な笑みを浮かべた。進歩したと思われた社会も、結局のところ、人間の本質的な感情や弱さを受け入れきれていないのではないか。

四、 悪代官と越後屋、それぞれの思惑

「いやはや、玄蕃様。この『うつ病』と『心療内科』の問題、なかなかに奥が深いようでございますな。」 宗右衛門は、熱くなった茶をゆっくりと啜る。

「うむ。しかし、越後屋。この話を聞いて、お前は何か企んでおるのではないか?」 玄蕃が、鋭い視線を宗右衛門に投げかける。彼の悪代官としての嗅覚は、常に金儲けの匂いを嗅ぎつける宗右衛門の思惑を、見逃すはずがなかった。

「へへ、お見通しでございますか。さすがは玄蕃様でございますな。」 宗右衛門は、悪びれる様子もなく笑う。 「この『心療内科』という商売、我々が手を出せぬものではございませぬ。例えば、心療内科を営む医師に資金を援助し、紹介料を取る。あるいは、患者を囲い込み、関連する商売に繋げることもできましょう。薬の卸しでも、一儲けできるやもしれませぬな。」

玄蕃は、宗右衛門の悪辣な発想に、しかしどこか感心したような表情を浮かべた。彼らの時代において、医療は金儲けの対象ではなかったが、宗右衛門の頭の中では、あらゆるものが金に変わる可能性を秘めていた。

「なるほど。人の弱みに付け込むとは、お前らしい発想よ。しかし、越後屋。心の病というものは、銭勘定では測れぬものだ。下手に手を出せば、思わぬしっぺ返しを食らうかもしれぬぞ。」 玄蕃は、宗右衛門を牽制する。彼もまた、人心を操ることに長けていたが、それはあくまで権力と恐怖を背景にしたものであり、心の奥底に巣食う病というものは、また別の次元の問題だと理解していた。

「へえ、玄蕃様の仰せの通りでございます。しかし、金になるものは金でございます。それに、この『うつ病』とやら、人々に『病気である』という認識が広まれば広まるほど、我々にとっては都合が良いこともございます。」 「ほう? 何が都合が良いと申すのだ?」

宗右衛門は、さらに邪悪な笑みを浮かべた。 「例えばでございますが、現代社会は『ストレス社会』などと呼ばれておりまする。仕事のストレス、人間関係のストレス、将来への不安など、多くの者がストレスを抱えていると。そこで、でございます。」 宗右衛門は、声を潜めて続けた。 「『ストレスを抱えるのは、病なのだ』という認識を広めるのでございます。そうすれば、人々は自身の不調を『病』として捉え、自らの責任ではないと考えるようになりましょう。そして、その『病』を治すために、我々のような者が提供する『癒し』のサービスや商品を、求めるようになるのでございます。」

玄蕃は、宗右衛門の言葉に目を細めた。それは、まさに彼らの得意とする「不安の煽り」と「安心の提供」によって、人々から金銭を巻き上げる手口と酷似していた。 「つまり、人々の心の弱さにつけ込み、さらなる儲けの種にしようと申すか。相変わらず、悪辣なことよ。」 玄蕃は、呆れたようにため息をついた。しかし、彼の顔には、どこか満足げな表情が浮かんでいた。宗右衛門の悪辣さは、玄蕃自身の悪行を正当化するかのようにも思えたからである。

五、 時代を超えた人間の苦悩

「しかし、玄蕃様。この話を聞いておりますと、我らの世も、現代も、結局のところ、人間が抱える苦悩の根源は変わらぬのだな、とつくづく感じ入りまする。」 宗右衛門が、しみじみと語る。 「うむ。飢えや戦に怯えるか、情報や競争に疲弊するか。形は違えども、人は常に何らかの不安や不満を抱えて生きているということか。」 玄蕃は、盃を空にしながら呟いた。

彼らの時代には、身分制度という明確なヒエラルキーが存在し、人々は定められた運命を受け入れることが多かった。しかし、現代社会は「自由」と「平等」を謳いながらも、その裏で、個人に過度な責任と選択を押し付けている。それが、かえって人々の心を蝕んでいるのかもしれない。

「結局のところ、人間は弱い生き物でございますな。いくら世が豊かになろうとも、心の奥底に潜む闇は、決して消えることはない。」 宗右衛門の言葉は、悪代官という仮面の下に隠された、人間の本質を突いていた。

「だが、越後屋。その心の闇を、我らが利用して金にするというのも、また一興よな。」 玄蕃は、ニヤリと笑った。彼の言葉は、悪代官としての本能的な欲望を隠そうともしない。

「へへ、玄蕃様。この越後屋め、どこまでも玄蕃様の足元にも及びませぬ。しかし、この世に悪が尽きぬ限り、我々の商売もまた、尽きることはないでしょうな。」 宗右衛門は、深々と頭を下げた。彼の言葉には、悪として生きる者たちの、ある種の諦めと、しかし確固たる信念が込められていた。

月は、西の空へと傾き、夜の闇は、少しずつ明け方の気配を帯び始めていた。 悪代官と越後屋。時代劇の悪役として描かれる彼らだが、現代社会の抱える問題について語り合う中で、彼らは人間が時代を超えて抱える普遍的な苦悩と、その闇に付け込む人間の狡猾さを、浮き彫りにした。

現代の「うつ病」は、決して現代だけの病ではない。それは、人類が古くから抱えてきた心の弱さや社会の歪みが、現代社会というフィルターを通して、新たな形で顕在化したものなのかもしれない。そして、心療内科は、その病に光を当てようとしながらも、また新たな問題を生み出している。

闇の中で交わされる悪代官と越後屋の会話は、現代社会が直面する複雑な問題の根深さを、皮肉なまでに浮き彫りにするのであった。 夜が明け、新たな一日が始まる。しかし、人々の心に巣食う闇は、決して夜明けとともに消え去ることはない。それは、時代を超えて、人々の心にひっそりと息づき続けるのである。

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