悪代官と越後屋の密談「ホワイトデー」

お代官様と越後屋の密談:ホワイトデーで一儲け

「越後屋、本日はよく参った」

黒沼玄蕃は、重厚な漆塗りの文机に片肘をつき、奥から現れた越後屋宗右衛門を睥睨した。玄蕃の眼光は鋭く、その顔には深い皺が刻まれ、長年の悪事の影が色濃く差している。対する越後屋は、深々と頭を下げ、相変わらずへつらいの笑みを浮かべていた。油で光るような越後屋の顔は、玄蕃の冷徹な表情とは対照的である。

「ははあ、お代官様には、ご機嫌麗しくお過ごしのことと存じ上げまする」

越後屋は、滑らかな布地の小袖をぴたりと膝に揃え、畳に手をついて丁重に挨拶した。その声には、いかにも商売人らしい、人の良い響きがあるが、その実、その心の内では常に算盤が弾かれている。

「うむ。して、越後屋。今日はな、そちにひとつ、面白い話を持ってきてやったぞ」

玄蕃はにやりと口の端を吊り上げた。その笑みは、獲物を見つけた猛獣のようだ。越後屋は身を乗り出し、興味津々といった様子で玄蕃を見つめた。

「ほう、それはまた、どのようなお話でございましょうか、お代官様?」

「近頃、江戸の町で流行しておる『ホワイトデー』とやらについて、そちも耳にしておろう?」

玄蕃の言葉に、越後屋ははっと目を見開いた。

「へい、もちろん承知しておりまする。まことに奇妙な風習ではございますが、若者を中心にずいぶんと広まっておりますな。なんでも、ひと月ほど前の『バレンタインデー』とやらに、女子が男子に菓子を贈るとか。そして、その返礼として、男子が女子に贈り物をするとか。つまらぬことと存じます」

越後屋は鼻で笑った。いかにも、このような浮ついた流行には興味がないといった風情だが、その目はすでに金儲けの匂いを嗅ぎつけているようにも見える。

「つまらぬ、だと? 越後屋、そちはまことにもったいないことを申す。つまらぬと一蹴するには惜しいほど、これは金になる匂いがプンプンしておるではないか」

玄蕃は越後屋をじっと見つめ、その言葉の真意を問いただすかのように問いかけた。越後屋は、はっと息を呑み、玄蕃の意図を察した。

「ははあ、お代官様のおっしゃる通りにございます。わたくしとしたことが、あまりに迂闊でございました。これは確かに、新たな商機となり得るやもしれませんな」

越後屋は頭を掻き、急いで態度を改めた。玄蕃は満足げに頷いた。

「うむ。考えてみよ、越後屋。男子は女子に贈り物をする。その贈り物とは何であろう?」

「菓子、反物、小間物…ありとあらゆるものが考えられまするな」

「そうだ。そして、その品々は、すべて越後屋の手で用意できるものであろう?」

玄蕃の言葉に、越後屋の目がぎらりと光った。

「もちろんにございます! 越後屋と申しますれば、江戸一番の品揃えを誇る店。いかなる品でも、お代官様のご期待に沿えるよう、取り揃えてございます」

越後屋は胸を張って言い切った。その声には、すでに商人の計算が詰まっている。

「よかろう。では、まずはその『ホワイトデー』とやらの実態を探るのだ。どのような品が好まれ、どれほどの値が張るのか。そして、最も重要なのは、どのような層の者が、この風習にのめり込んでいるのか、だ」

「ははあ、承知いたしました。早速、手下の者どもに命じ、市中を巡回させ、情報を収集させまする」

越後屋は深々と頭を下げた。玄蕃は、ゆっくりと茶を一口含んだ。

「うむ。そしてな、越後屋。この風習に乗じて、我々も一儲けする算段を立てるのだ」

「どのような手立てがございましょうか、お代官様?」

越後屋は前のめりになり、玄蕃の言葉を待った。

「まずは、品揃えを充実させることだ。特に、普段は手に入りにくいような珍しい品や、高価な品を重点的に仕入れるのだ。人は珍しいもの、高価なものには目が眩む。それが返礼となれば、なおさら見栄を張りたくなるものよ」

「なるほど! 確かにその通りにございます。近頃は、南蛮渡来の珍しい菓子などが流行しておりますゆえ、それらを大量に仕入れ、高値で売りつけるのも一興かと存じまする」

越後屋は手を叩いて同意した。玄蕃は満足げに頷いた。

「うむ。さらに、だ。越後屋、そちは普段から江戸の町衆に顔が広い。特に、金持ちの息子や、見栄を張りたい若者どもに、この『ホワイトデー』がいかに重要であるかを吹聴するのだ」

「ほう、それはまた、どのような具合でございましょう?」

「『このホワイトデーに、どれほど見事な返礼をするかで、その男の甲斐性が試される』とでも言っておけばよかろう。女子どもは、そのような言葉に弱いものよ。そして、男子どもは、女子どもに見栄を張りたいがために、金に糸目をつけぬようになる。そうであろう?」

玄蕃の言葉に、越後屋はにやりと笑った。

「ははあ、さすがはお代官様! まことに見事な奸計でございます。そのように吹聴すれば、男子どもはこぞって越後屋へ、高価な品を求めに参りましょう」

「うむ。そして、越後屋。さらに追い打ちをかけるのだ。たとえば、限定品を設ける。数に限りがある、珍しい品を少量だけ用意し、『これぞ、真の甲斐性を見せる品』と煽るのだ。そうすれば、競って品を求めるようになる」

「左様でございますな! 競り合いとなれば、値はいくらでも吊り上げられまする。越後屋の得意とするところにございます!」

越後屋は、すでに目の前に札束が積まれているかのように、興奮した様子で声を上げた。

「そしてな、越後屋。もう一つ、重要なことがある」

玄蕃は声をひそめ、越後屋に顔を近づけた。越後屋もまた、耳をそばだてた。

「このホワイトデーの風習が、あまりに盛り上がりすぎると、幕府の目が気になるやもしれぬ。贅沢を禁ずるお触れでも出されては、元も子もない」

「まさか、そのようなことに…」

越後屋は顔色を変えた。

「だからこそ、だ。越後屋、そちは、さりげなく、この風習が一部の若者の間で流行しているに過ぎぬと、周囲に触れ回るのだ。しかし、その裏では、着実に儲けを拡大していく。わかったか?」

「ははあ、なるほど! 世間には『大したことはない』と見せかけつつ、裏ではがっちりと銭を稼ぐ。さすがはお代官様、油断ならぬお考えでございます」

越後屋は感心したように頷いた。

「うむ。そして、越後屋、そちの商才を信じておるがゆえ、あえて申しておくが、この儲けのほとんどは、わしとそちの懐に入るものだ。くれぐれも、他の者には嗅ぎつけられぬようにな」

玄蕃の目は、再び鋭い光を放った。越後屋は、ごくりと唾を飲み込んだ。

「ははあ、お代官様、ご安心くだされ。越後屋宗右衛門、決してそのお心遣いを無駄にはいたしませぬ。この身命を賭して、お代官様にご満足いただけるよう、努めさせていただきまする」

越後屋は平伏し、忠誠を誓った。

「よかろう。では、早速取り掛かれ。そして、定期的に進捗を報告せよ。もし、何か問題が生じた場合は、速やかにわしに伝えるのだ」

「かしこまりました、お代官様」

越後屋は深々と頭を下げ、静かに部屋を辞した。玄蕃は、越後屋の後ろ姿を見送りながら、満足げに鼻を鳴らした。

「ふふふ…ホワイトデーか。面白い名じゃな。さて、この風習、どれほどわしの懐を潤してくれるかのう…」

玄蕃は、目の前に広がる江戸の町を見下ろすかのように、遠くを見つめた。その目には、すでに莫大な銭が転がり込んでくる幻影が見えているかのようであった。

越後屋が部屋を出てしばらくすると、玄蕃は再び机に向かい、墨をすり始めた。その筆先は、滑らかに和紙の上を滑り、ある文字を書き連ねていく。

「…さて、越後屋には『一部の流行』だと触れ回るように言ったが、その実、このホワイトデーとやらは、もっと大々的に仕掛けても良いやもしれぬな」

玄蕃は独りごちた。彼の脳裏には、すでに次の悪事が描かれている。

「女子どもに『バレンタインデー』とやらで菓子を贈らせ、男子に『ホワイトデー』で高価な返礼をさせる。これは、一種の循環ではないか。つまり、年間を通して、この手の行事を仕掛けていけば、常に銭が動く…」

玄蕃の目は、一層冷徹な光を帯びていた。彼は、ただ単に一儲けするだけでなく、この新たな流行を巧妙に利用し、自身の懐を潤し続ける仕組みを構築しようと目論んでいた。

「ふむ…まずは、この『ホワイトデー』でどれほどの儲けが出るかを見極め、その結果次第では、新たな『記念日』をでっち上げるのも悪くない。たとえば、『七夕の節句に恋文を贈る』などと称して、高価な文箱や筆を売りつけたり、『秋の夜長に月見団子を贈る』と称して、高級な団子を売りつけたり…」

玄蕃の悪知恵は、とどまるところを知らない。彼は、人々のささやかな感情や流行を巧みに利用し、それを金に変える術に長けていた。

「そして、そのすべての品を、越後屋に用意させればよい。越後屋は、銭のためならば、いかなる悪事にも手を染める。まことに使い勝手の良い奴よ」

玄蕃は、書き終えた和紙を眺め、満足げに頷いた。そこには、「新たな記念日の創設と、それによる金銭の回収」と記されていた。

一方、越後屋は、玄蕃の屋敷を後にすると、すぐに駕籠に乗り込み、自身の店へと急いだ。駕籠の中で、越後屋は玄蕃との密談の内容を反芻し、すでに頭の中で算盤を弾き始めていた。

「お代官様も、まことに恐ろしいお方よ。しかし、その知恵には恐れ入る。この『ホワイトデー』とやら、確かに新たな金脈となり得る」

越後屋は、にやにやと笑みを浮かべた。彼の脳裏には、すでに大量の小判が積み上げられている光景が浮かんでいた。

「さて、まずは品揃えだ。南蛮渡来の珍しい菓子、絹の上等な反物、美しい細工の小間物…ふふ、高値で売りつけるには、申し分ない品々だ」

越後屋は、店の者に命じ、すぐにでも品物の手配に取り掛かるよう指示を出した。さらに、彼は得意の口八丁手八丁で、町中に「ホワイトデー」の重要性を吹聴するよう、手下どもに厳命した。

「いいか、皆の者! 『ホワイトデーに、どれほど見事な返礼をするかで、その男の甲斐性が試される』と、口を酸っぱくして言い回るのだ! そして、越後屋には、その甲斐性を示すにふさわしい品が揃っていると、とことん言い募るのだ!」

越後屋の声は、店の奥まで響き渡った。店の者たちは、越後屋のただならぬ気迫に圧倒されながらも、その指示に従った。

数日後、江戸の町では、「ホワイトデー」の話題で持ちきりになっていた。越後屋の手下どもが町中を駆け回り、玄蕃の指示通りに扇動した結果、若者たちの間では、「ホワイトデーに良い返礼をしなければ、男としての面目が立たない」という意識が芽生え始めていた。

「お前は、ホワイトデーに何を贈るつもりだ?」

「そりゃあ、もちろん、越後屋で手に入れた、南蛮渡来の珍しい菓子だよ。あんなに高価なものは、なかなか手に入らないからな」

「ほう、さすがは越後屋だな。俺も、越後屋でとっておきの反物を買ってきたぜ」

町行く若者たちは、こぞって越後屋で品物を購入し、その金額を競い合うかのように見せびらかした。越後屋の店には、連日、多くの客が押し寄せ、店は大盛況となった。

越後屋は、店の奥で、山と積まれた小判の山を前に、満足げに笑みを浮かべていた。

「ははは…お代官様の言われた通りにございます。これは、まことに素晴らしい商機となったわい」

越後屋は、小判の感触を確かめるかのように、その手に取り、その重みを味わった。

玄蕃の屋敷では、越後屋から定期的に報告が届いていた。越後屋は、この「ホワイトデー」で得た儲けを、正確に玄蕃に報告し、その大半を玄蕃に上納した。

「うむ、越後屋。そちの働き、まことに見事であったぞ」

玄蕃は、越後屋からの報告書を眺めながら、満足げに頷いた。彼の目の前には、越後屋から届けられた、大量の小判が積み上げられていた。

「これほど儲けが出るとはな…」

玄蕃は、小判の山を眺めながら、満悦の表情を浮かべた。彼は、この「ホワイトデー」の成功を足がかりに、さらに大きな悪事を企んでいた。

「越後屋、この調子でいくならば、新たな『記念日』をでっち上げる計画も、早々に実行に移すべきだな」

玄蕃は、隣に控える越後屋に言った。越後屋は、深々と頭を下げた。

「ははあ、お代官様のご指示とあらば、いかようにも」

越後屋の声には、すでに次の悪事への意欲が満ち溢れていた。

「ふふふ…江戸の町衆は、まことに愚かなものよ。流行というものには、かくも簡単に乗せられるものか」

玄蕃は、高笑いをした。その笑い声は、悪事の成就を喜ぶかのように、屋敷の中に響き渡った。そして、玄蕃と越後屋の密談は、次の金儲けへと続いていくのであった。

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