「これは、越後屋。よう参った」
黒沼玄蕃は、上座に座ったまま、不敵な笑みを浮かべて越後屋宗右衛門を迎えた。部屋には伽羅の香が満ち、上質な絹の掛け軸が壁を飾っている。しかし、その豪奢な空間とは裏腹に、二人の間には底知れぬ悪意が渦巻いていた。
「ははぁ、お代官様には、ご機嫌麗しく」
越後屋は深々と頭を下げた。年の功で白くなった頭はしかし、その商魂の逞しさを隠すことはない。ずんぐりとした体躯には、いつも上等の縮緬問屋の羽織を羽織り、指にはめられた翡翠の指輪が鈍く光る。
「うむ。して、そちは例の件、抜かりはないな?」
玄蕃は扇子をゆっくりと開いた。描かれているのは荒々しい昇り龍。その鋭い眼光は、越後屋の表情を穿つ。
「もちろんでございます、お代官様。わたくしめがこの越後屋宗右衛門、お代官様のご期待を裏切るような真似は決して」
越後屋は姿勢を正し、低い声で応じた。その目には、獲物を前にした飢えた獣のような光が宿っている。
「ふむ。で、例の『くまモン』とやらの利権だが、どこまで話が進んでおる?」
玄蕃は、それまで冗談めかしていた表情から一変、鋭い眼差しを越後屋に向けた。
「はっ。それがお代官様、いよいよ大詰めと相成りました」
越後屋はにやにやと笑い、玄蕃の傍に膝を進めた。
「あの熊の絵柄、まさかこれほど世間で人気を博するとは、最初は思いもよりませんでしたな」
「うむ。それが人の心というもの。何が流行るかなど、我々凡人には計り知れぬ。しかし、一旦火が付けば、あとはその火をいかに燃え盛らせるか、そしていかにその熱で我らが潤うか、それが肝要よ」
玄蕃は満足げに頷いた。
「まことに、お代官様の御慧眼には恐れ入るばかり。あの、最初はただのゆるキャラなどと侮っておりましたが、今やあやつは、日本中に知らぬ者とてない人気者」
「うむ。故に、その人気にあやかって、我らが儲けねばならぬ」
玄蕃は身を乗り出した。
「お代官様のおっしゃる通りにございます。まずはあのくまモン、その絵柄の使用許可を巡って、各方面で熾烈な争いが起きております。そこでわたくしめ、手始めにその使用許可の審査に、私的な手数料を設けることを提案いたしました」
越後屋は声を潜めた。
「ほう。それは面白いのう。役所の仕事に、私的な手数料か」
玄蕃は口元に笑みを浮かべた。
「はい。表向きは審査を厳格化するため、という名目でございます。しかし、その実、手数料を支払った業者には優先的に許可を出し、渋る者には、難癖をつけて却下する。もちろん、お代官様のお名前は決して出しませぬ。全てはわたくしめが、勝手にやっていることで」
越後屋は玄蕃の顔色を窺いながら言った。
「ぬかせ。そち一人でそのような大それたことが出来るはずもなし。まあよい。で、その手数料は、一体どれほどのものになるのだ?」
「それが、お代官様。くまモンの人気は日増しに高まっておりますゆえ、手数料もそれに合わせて段階的に上げていく所存にございます。まずは口銭として、一件につき銭百両。これを成功報酬としてわたくしめがいただき、そのうちの七割をお代官様へ」
玄蕃は、とんと膝を叩いた。
「ふむ。銭百両か。まあ、悪くはないが、もっと他に手はないものか」
玄蕃は不満げな顔をした。
「ご心配なさいますな、お代官様。これはほんの手始め。くまモンの利権は、それだけではございませぬ」
越後屋は、自信ありげに胸を張った。
「ほう。して、他にどのような策があるのだ?」
「はい。次に考えたのは、くまモンの関連商品の製造権を、わたくしども越後屋が独占することでございます」
「なに?独占だと?」
玄蕃の目が光った。
「さよう。現在、くまモンの関連商品は、様々な業者がそれぞれ勝手に製造しております。これでは儲けも分散し、旨味がございません」
「うむ、確かに」
玄蕃は頷いた。
「そこで、わたくしめが、くまモンの関連商品を製造できる業者を限定し、その権利を越後屋に一本化するよう、役所に働きかけます。もちろん、その見返りとして、我らが大金を提供するという名目で」
「ほう。一本化か。それは面白い。だが、他の業者から反発が出るのではないか?」
「ご心配には及びません、お代官様。反発する者には、様々な名目で営業許可を取り消し、資金繰りを困難に追い込みます。そうすれば、いずれは音を上げるでしょう。そして、最後に残った者が、越後屋、というわけにございます」
越後屋は、ぞっとするような冷たい笑みを浮かべた。
「ぬぬぬ。越後屋、そちはまこと、悪知恵が働くのう」
玄蕃は感心したように言った。
「ははぁー。お代官様のお褒めの言葉、光栄の至りにございます。これもひとえに、お代官様のご威光あってこそ」
「ふむ。で、その独占によって、どれほどの儲けが見込めるのだ?」
「それが、お代官様。くまモンの関連商品の市場は、今や年間億単位に上ると言われております。その全てを越後屋が手中に収めれば、年間で数千両の純利益は固いでしょう」
越後屋は、指を三本立てて見せた。
「数千両か。それはまことに、うま味のある話よのう」
玄蕃は、満足げに頷いた。
「もちろんでございます、お代官様。そのうちの七割は、お代官様の懐に」
「うむ。越後屋、そちはまこと、わが右腕に相応しい男よ」
玄蕃は、越後屋の肩をポンと叩いた。
「ははぁ。恐縮でございます」
越後屋は頭を下げた。
「しかし、くまモンの人気は、いつまで続くか分からぬ。今が稼ぎ時、というわけか」
玄蕃は、ふと真顔に戻った。
「まことにその通りにございます、お代官様。故に、次なる策も講じております」
越後屋は、さらに身を乗り出した。
「ほう。まだ何かあるのか?」
「はい。くまモンの人気にあやかろうとする者は、後を絶ちません。そこで、くまモンの名前を使った、いわゆる『なりすまし』商品を横行させるのです」
「なりすまし、だと?」
玄蕃は眉をひそめた。
「さようでございます。粗悪品を安価で大量に製造させ、正規の商品と区別がつかぬよう、巧妙に市場に流し込みます。もちろん、製造元は、架空の会社や、すぐに倒産するような会社の名義で」
「ふむ。それは一体、何のための策だ?」
「正規の商品の価値を下げるためでございます、お代官様」
越後屋は、不敵な笑みを浮かべた。
「ほう。どういうことだ?」
「正規の商品が粗悪な『なりすまし』商品と混同されれば、消費者はどちらが本物か見分けがつかなくなり、やがてはくまモンそのものへの信頼が失われます。そして、その信頼が地に落ちた時、我々が動くのです」
「動くとは?」
「くまモンの『本物』を保護するという名目で、偽物を取り締まる機関を設立するのです。もちろん、その機関の運営は、我々が主導権を握ります」
「ぬぬぬ。越後屋、そちはまこと、悪辣よのう」
玄蕃は、感嘆のため息をついた。
「ははは。お褒めの言葉、恐縮でございます」
「で、その取り締まりによって、どれほどの金が動くのだ?」
「それが、お代官様。偽物を製造した業者からは、多額の罰金を徴収します。もちろん、その罰金は、我々の懐へ。そして、その取り締まりの過程で、くまモンの著作権を巡る訴訟を乱発させ、弁護士費用を水増し請求する。それもまた、我々の儲けとなります」
「訴訟か。それはまた、面倒なことよのう」
玄蕃は、少し顔をしかめた。
「ご心配には及びません、お代官様。訴訟を起こすのは、あくまで名目。相手が音を上げれば、和解という形で多額の示談金をせしめることも可能です。そして、その示談金もまた、我々の懐へ」
「なるほど。つまり、くまモンという人気を餌に、合法的に金を巻き上げるということか」
玄蕃は、感心したように言った。
「まことにその通りにございます、お代官様。くまモン人気は、まさに打ち出の小槌。いくら振っても、金が尽きることはございません」
「うむ。越後屋、そちはまこと、わが意を汲む男よ。この件、全てそちに任せるゆえ、抜かりなく頼むぞ」
玄蕃は満足げに頷いた。
「ははぁ、お代官様。この越後屋宗右衛門、必ずやお代官様のご期待に応えてみせまする」
越後屋は深々と頭を下げた。二人の間に、再び薄気味悪い笑みが広がった。部屋には、相変わらず伽羅の香が満ちていたが、その香りは、彼らの悪行を覆い隠すかのように、重く、甘く、鼻腔にまとわりついた。
「して、越後屋。今夜は、この上質な酒と、とっておきの肴を用意させておる。二人でゆっくりと、今後の策を練るとしようではないか」
玄蕃は、優雅に扇子を閉じ、越後屋に視線を向けた。
「ははぁ、お代官様。それはまことに、光栄の至りにございます」
越後屋は、満面の笑みを浮かべた。彼らの悪行は、まさにここから始まるのだ。くまモンという純粋なキャラクターが、彼らの手によって、金儲けの道具として利用されていく。その未来を、誰も知る由もなかった。
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