悪代官と越後屋の密談「キャンプグッズ」

夜のとばりが深まり、江戸城下の奥深くにひっそりと佇む黒沼玄蕃の屋敷は、闇に沈んでいた。月明かりさえも届かぬ書院の一室で、油の燃える音だけが静寂を破る。上座には、豪華絢爛な打掛を羽織った悪代官・黒沼玄蕃が、不敵な笑みを浮かべて座している。その対面には、平伏せんばかりに頭を下げた越後屋宗右衛門が、いかにも恭しく控えていた。

「越後屋、よう来たな」

玄蕃の声は、普段の威圧感とは異なり、どこか親しみを帯びていた。宗右衛門は、すかさず顔を上げ、媚びるような笑顔を浮かべる。

「ははあ、お代官様には、ご機嫌麗しくおわしますでしょうか」

「うむ、おかげさまでな。して、今宵の興は、いかが相成るか」

玄蕃の言葉に、宗右衛門はにやりと口元を緩めた。

「へえ、それがし、只今、世間で評判の品について、お代官様にご進講申し上げたく、馳せ参じました」

「ほう、世間の評判とな。そちの目利きならば、つまらぬものではあるまい」

玄蕃は満足げに頷いた。宗右衛門は懐から小ぶりの巻物を取り出し、広げた。そこには、簡素な絵と文字で、見慣れぬ品々が描かれている。

「これらは、巷で『キャンプグッズ』と呼ばれ、物好きな者が野山で泊まり歩く際に用いる品々でございます」

宗右衛門は言葉を選びながら説明した。玄蕃は興味なさげに眉をひそめる。

「キャンプと申すか。野山で寝泊まりするとは、いかにも物好きな輩のやることよ。一体、それがどう、金儲けに繋がるというのだ、越後屋」

玄蕃は不審げな表情を浮かべる。宗右衛門は、内心ほくそ笑みながら、さらに言葉を続けた。

「お代官様、ごもっともでございます。しかし、これこそが、隠れたる財源となるやもしれませぬ」

宗右衛門はそう言うと、描かれた品々を指差しながら、その効用を滔々と述べ始めた。

「まず、こちらにございますは、『天幕(てんまく)』、あるいは『テント』と申すものでございます。獣の皮や厚手の布でできており、野山での雨露をしのぎ、寒さを防ぐ優れものでございます。これがあれば、どんな荒天であろうと、安心して寝泊まりできますゆえ、好事家どもはこぞって求めるとか」

玄蕃は、ようやくにして興味を示した。

「ふむ、天幕か。確かに、野営には欠かせぬものとなろう。しかし、そのようなもの、これまでもあったではないか。何か違いがあるのか?」

「へえ、お代官様、さすがでございます。これまでの天幕は、重くかさばり、持ち運びにも難儀する代物でございました。しかし、これらは軽量にして丈夫、そして設営も容易にできるよう工夫されており、女性や子供でも扱えるほどでございます。ゆえに、これまで野営など考えもしなかったような者まで、手軽に持ち運び、どこでも寝泊まりができると、大層評判でございます」

宗右衛門の言葉に、玄蕃の目が光った。

「なるほど、それは面白い。手軽に持ち運べるとは、まさに画期的な品よな」

「加えて、こちらにございますは『寝袋(ねぶくろ)』と申すものでございます。薄手の布と綿でできており、筒状になっておりますゆえ、その中に体を滑り込ませれば、真冬の野山でも暖かく眠ることができると申します。布団とは異なり、小さく丸めて持ち運べますゆえ、これまた重宝されております」

宗右衛門は、さらに説明を続けた。

「ふむ、寝袋か。いかにも、かさばる布団を持ち運ぶは骨が折れる。それが、そのような簡便なものとなれば、皆、欲しがるであろうな」

玄蕃は顎を撫でながら、思案顔になった。

「そして、こちらにございますは『提灯(ちょうちん)』でございますが、これまでのものとは一線を画します。油を使わずとも、火を灯すことができる『ランタン』なるものでございます。ガラスで覆われておりますゆえ、風にも強く、夜道を照らすにはもってこいと評判にございます」

宗右衛門は、すらすらと品々を解説する。玄蕃は、ますます興味を深めていった。

「油を使わずして火が灯るとな。それはまことか? いかにも不思議な品よな」

「まことにございます。それから、『携帯竈(けいたいかまど)』に『簡易椅子(かんいいす)』、『携帯食料(けいたいしょくりょう)』と、枚挙にいとまがございませぬ。どれもこれも、野山での生活を快適にするための工夫が凝らされており、一度使えば手放せぬと、好事家どもの間ではもはや常識と化しております」

宗右衛門は、捲し立てるように言葉を続けた。玄蕃は、大きく頷いた。

「なるほど、なるほど。つまり、これまで一部の物好きが細々と行っていた野山での遊びが、これらの品々によって、誰でも手軽に楽しめるようになったということか」

「お代官様、ご慧眼にございます! まさにその通りでございます。今や、富裕な商人や武家の子弟ばかりか、町人までもが、これらの品々を買い求め、週末には野山へと繰り出す始末。自然の中で息抜きをするとか、景色の良い場所で詩歌を詠むとか、はたまた、普段は顔を合わせぬ者同士で語り合うとか、実に多様な形で楽しまれております。なかには、夫婦や親子で出かける者もおり、新たな趣味として定着しつつございます」

宗右衛門は、にやりと笑った。玄蕃は、その言葉に深く頷いた。

「ふむ、新たな趣味か。それは良い響きよな。流行というものは、瞬く間に広がるものゆえ、一度火がつけば、その勢いは止まるまい」

玄蕃の瞳に、ギラリと金色の光が宿った。

「して、越後屋。これらの品々を、そちはどこから仕入れているのだ」

「へい、それがし、腕利きの職人を囲い込み、独自のルートで材料を調達しております。ゆえに、品質においてはどこにも負けませぬ。そして何より、独占販売にございますゆえ、価格は思うがままでございます」

宗右衛門は胸を張って答えた。玄蕃は満足げに頷いた。

「うむ、良い心がけよ。独占販売とあらば、越後屋、そちの商才はさすがと申す他あるまい。しかし、それだけでは飽き足らぬ」

玄蕃は顔を宗右衛門に近づけ、囁くように言った。

「そのほう、これらをより高値で売りさばく、良き手立てはないものか?」

宗右衛門は、待ってましたとばかりに、顔をさらに近づける。

「お代官様、ぬかりはございません。まずは、『お代官様御用達』と銘打ち、これらの品々を販売する店を構えましょう。公儀の認可を得た品とあらば、庶民はこぞって買い求めましょう」

「ふむ、それは良き考えよ。公儀の名を借りるとは、なかなかの策士よな」

玄蕃は満足げに笑った。

「そして、『キャンプ指南書』なるものを出版し、野山での遊び方を広めるのでございます。それには、お代官様の御威光を借り、巻頭には、お代官様が野山で悠々自適に過ごされる様子を絵にして載せるのでございます。さすれば、ますます世間の耳目を集め、売上は倍増いたしましょう」

宗右衛門の言葉に、玄蕃はさらに顔をほころばせた。

「なに、わしが野山で遊ぶ様子を絵に描くとな。それは面白い。よし、そのようにいたせ。しかし、わしの絵は、いかにも威厳に満ちたものでなくてはならぬぞ。決して、軽薄なものであってはならぬ」

「ははあ、お代官様の御威光を損なうことなど、決してございませぬ。むしろ、お代官様の新たな一面を見せ、庶民の憧れの的となるよう、腕利きの絵師に描かせまする」

宗右衛門は、媚びるように言った。

「うむ、ならば良い。して、他に何か手はないのか」

玄蕃は、さらに儲けの道を模索した。

「へい、お代官様。これらの品々は、野山で使うものでございますゆえ、『レンタル』もよろしいかと存じます。一度に買い揃えるには高価な品もございますゆえ、まずは借りて試したいという者も多うございましょう。特に、初めて野山へ出かける者にとっては、手軽に試せる手段として、大いに需要がございまする」

「なるほど、レンタルか。一度に大金を払えずとも、手軽に体験できるとなれば、客は増えよう。しかも、借り賃は、それなりの額を頂戴すればよい。貸し出し回数を増やせば、いずれは元手も回収できようし、新品を買い求める者も増えよう」

玄蕃の目が、一層鋭くなった。

「そして、『キャンプ場』と称して、野山に場所を設け、そこで金を徴収するのでございます。そこには、水場や薪などを準備し、ささやかながらも快適な環境を整えれば、客は喜んで金を払うでしょう。さらに、場所によっては、特別な景観を楽しめる場所を設け、そこは『特別区画』と称し、さらに高値を徴収いたしましょう」

宗右衛門は、畳みかけるように提案した。玄蕃は、手を叩いて喜んだ。

「そのほう、まことに才覚ある男よ! 場所を提供して金を徴収するとは、まさに不労所得ではないか! しかも、特別区画となれば、金持ちどもはこぞって押し寄せるであろう。いやはや、越後屋、わしはそちの才には舌を巻くばかりよ」

「お代官様のお言葉、恐悦至極にございます」

宗右衛門は、深々と頭を下げた。

「しかし、玄蕃様。それには、まず、野山への立ち入りを制限する必要がございます」

宗右衛門は、真顔で玄蕃を見上げた。玄蕃は、すぐにその意図を察した。

「うむ、その通りよな。公儀の許可なく、勝手に野山へ立ち入ることを禁じ、取り締まりを強化するのだ。さすれば、皆、我々の設けたキャンプ場へと流れてこよう。その上で、無許可で立ち入った者には、重い罰金を課すのだ」

玄蕃の声には、悪代官特有の冷徹な響きが戻っていた。

「さよう、それでこそお代官様でございます。ただし、その際、『自然保護』という大義名分を掲げるのでございます。自然を傷つける者を許さぬという名目で、一般の立ち入りを制限すれば、誰も文句は言いますまい」

宗右衛門は、すっかり悪知恵が回っていた。

「ほう、自然保護か。いかにも聞こえの良い言葉よな。庶民は、そのような言葉にはめっぽう弱いゆえ、疑いも抱かぬであろう」

玄蕃は、にやりと笑った。

「そして、『環境整備』と称して、公儀の予算を引っ張り、我らのキャンプ場整備に充てるのでございます。さすれば、我らは労せずして、豪華な施設を整えることができましょう」

宗右衛門の提案に、玄蕃は満面の笑みを浮かべた。

「越後屋、そちはまことに、わしが求めていた男よ! これならば、手間をかけずに、巨万の富を築けるではないか! キャンプグッズを売り、レンタルで稼ぎ、場所を提供して銭を取り、さらに公儀の金まで掠め取るとは! いやはや、わしは今宵、良い夢が見られそうよ」

玄蕃は、ご満悦の様子で、酒を煽った。宗右衛門は、その横で、にやにやと下卑た笑みを浮かべていた。

「お代官様、これからも、世間の流行り廃りを逐一ご報告申し上げます。さすれば、お代官様のご威光と、それがしの才覚をもってすれば、この世の富は全て、我らの懐に収まることとなりましょう」

「うむ、その通りよ、越後屋。これからも、そちには大いに期待しておるぞ。この世は、金と権力で動くものよ。さあ、今宵は祝杯を挙げようではないか」

玄蕃は、高らかに笑い、宗右衛門もまた、心の底から笑い声を上げた。夜は更け、二人の密談は、さらに深く、そして、いっそう悪辣なものへと進んでいくのであった。

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